JPタワー学術文化総合ミュージアム インターメディアテク
研究者コラム

インターメディアテク・レコード・コレクション(12)
狂気のハープシコード

 エレキギターの鬼才ジミ・ヘンドリックスが南部の教会でゴスペルを弾いている姿を想像してほしい。ステンドグラスは破れるかもしれないが、参拝者のなかで未曾有の熱狂が生まれるだろう。今年80周年を迎える名レーベル「ブルーノート」が1941年に出したSP盤19および20号を聴いた時に、その情景が浮かんだ。これは、1939年1月に同レーベルの初録音を行ったピアニスト、ミード・ルクス・ルイス(1905-1964年)がチェンバロを弾いている録音だ。一斉を風靡したピアノ奏法「ブギウギ」の特徴を活かして、ルイスはレコード4面に亘って「主題による変奏曲」を即興で展開している。我々の記憶のなかでピアノと結びついているブギウギを他の鍵盤楽器で奏でることによって、なんとも言えない違和感が生じる。同時にルイスはチェンバロから前代未聞の音を引き出している。珍しい楽器をバンド編成に取り込むジャズメンの「多楽器主義」は、チェレスタを弾くモンクや100以上の楽器をステージに持ち込んだアート・アンサンブル・オブ・シカゴを通じて、現在も受け継がれている。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

インターメディアテク・レコード・コレクション(11)
奇妙な果実

 歌手ビリー・ホリデイが1939年4月20日に吹き込んだ曲は、彼女自身にとってもジャズ史においても特別な意味を持つ作品となった。当時ニューヨークのライブハウス「カフェ・ソサエティ」に出演していたホリデイはアンコールとして、ポップソングとは一線を画す、ある新作を歌っていた。その題名は「奇妙な果実」。白人の教諭エイベル・ミーロポルが作詞作曲したこの曲は、ホリデイが専属契約を結んでいたコロンビア系列のレーベル「ヴォーカリオン」に録音を却下されたため、ミルト・ゲイブラーが経営していたインディー・レーベル「コモドア」から526号として発売された。というのも、人種差別が厳格に実施され、リンチも絶えなかった米国社会において、その状況がメディア等に露出することはほぼなかったからだ。ホリデイが歌った「奇妙な果実」とは、南部のポプラの木にぶら下がっている、へんてこな血まみれの果実、リンチされた黒人のことであった。これをもってホリデイは娯楽を逸して、「プロテストソング」の原型を作った。526号の裏面には「ファイン・アンド・メロー」が収録され、大ヒットとなった。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

夜間飛行

 先日、帰宅中の夜空から「チーチーチー」と聞こえる鳥の声がした。この時期になると聞くことのある声、渡り途中のツグミの声だ。鳥の多くは昼行性で、夜間は行動しない。ただし、行動「できない」わけではない。夜の間にねぐらを移動するカラスもいるし、小鳥だって寝ている間に危険が迫れば飛んで逃げる。ただ、昼ほどのパフォーマンスを発揮できないが故に、夜は無駄なエネルギーを使わずに寝ているにすぎない。一方、これは夜間なら猛禽類の目を逃れられる、ということでもある。よって、渡り鳥はしばしば、夜の間に飛ぶ。今はレーダーを用いて夜間の鳥の渡りを観察することもできるが、かつては満月の夜を選び、月面を横切って飛ぶ鳥の影を数える、という調査方法もあった。遊びで試してみたこともあるが、やってみると秋の地面は冷たいわ、双眼鏡で見る満月は眩しすぎて目に痛いわ、双眼鏡を支える腕は震えだすわ、なかなかに過酷なものであった。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

内田祥三

 博物館本館の耐震改修工事のため、近くの医学部一号館に仮住まいしている。内田祥三の設計により1931年に竣工した校舎である。鉄骨鉄筋コンクリートの堅牢な構造で、スクラッチタイルに覆われた「内田ゴシック」の建築群の一つである。建築学科教授と営繕課長を兼務していた内田は、関東大震災後の本郷キャンパスの復興計画を主導した。その基本構想は、正門から大講堂(安田講堂)に向かう軸を設け、それに直交して左右に図書館と博物館を配するものであった。明治の辰野金吾、大正の佐野利器に続き、昭和の建築界を牽引した内田祥三は、建築家・研究者・教育者・組織人として大きな手腕を発揮した。建築家としてはモダニズムと一線を画したネオゴシックで復興を推進し、研究者としては音響、構造、防災、都市計画など多分野の学を興し、教育者としては建築実務を講座に取り込んで数多の後進を育成し、組織人としては教授と課長を兼務したのちに総長に就任した。総長として、終戦前後の陸軍と米軍の接収要請を拒絶したのは特筆すべき功績であろう。弟子たちが編纂した『内田祥三先生作品集』には、その縦横な活躍のエッセンスが集約されている。医学部一号館のスクラッチタイルの壁面を見ていると、芋目地の基本構造を介して多様なテクスチャの共存可能性が見えてくる。それはまさに内田の際立った特質のあらわれのようだ。

松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)

インターメディアテク・レコード・コレクション(10)
ピアノ・ロールとレコード

 ニューオリンズ・ジャズ・ピアノの祖ジェリー・ロール・モートンの初期録音をSP盤で聴くと、彼の滑らかにして複雑にリズミカルな演奏とは無縁なものが聴こえてくる。よく聴くと、そのピアノの音はモートンの手によるメロディーではなく機械から流れているものだ。録音が普及する以前に、音楽とりわけピアノ・ソロの伝播方法として、楽譜以外に「ピアノ・ロール」というものがあった。メロディーが穿孔された巻き紙を自動ピアノに差し込むと、オルゴールの原理に従ってその穿孔をもとにピアノは曲を再生した。それがのちにSP盤に収録され、発売されることもあった。また、ミスを起こしかねない演奏家の吹き込みに対し、音の羅列を完全に再生する物理的な原理を重要視し、この機械的発展に音楽の未来を見出した人は当時少なくなかった。実際にピアノ・ロールを聴けばその見解の稚拙さに誰もが気づくが、ピアノ・ロールは再生音楽を離散的な情報に分解するうえで実に重要な第一歩だった。実際のところ、若きファッツ・ウォーラーは師のジェームス・P・ジョンソンが作曲した『カロライナ・シャウト』を習得するために、ピアノ・ロールをゆっくりと再生し、自動ピアノでそのコードを一つ一つなぞっていったと言われている。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

床と石材と私

 2年前、出張でスウェーデンを訪れた時のこと。ウプサラという街に数日いたのだが、最後の一泊だけ、宿泊先を引っ越した。それまで滞在していた宿が、予約の都合でそれ以上の連泊ができなかったのだ。移動先は古めかしく、もっと大きなホテルだった。石造りの螺旋階段を上って行きながら、私はふと足元に目を止めた。そこには角ばった「C」の字を並べたような模様が、白く浮き上がっていたからだ。いや、これはただの模様ではない。ベレムナイトの殻の内側にある隔壁だ。ベレムナイトは日本語では直角貝といい、中生代末に絶滅した頭足類の一種である。ものすごく大雑把に言えば、巻いていないアンモナイトだと思えばいい。大理石は海洋性プランクトンである放散虫の死骸が海底に降り積もってできるものだから、いろんな海洋生物の化石が含まれることも多いのだ。そうやって這いつくばるように階段を検分していたら、フロント係に怪訝な顔で「ミスター、どうかしましたか?」と声をかけられてしまった。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

インターメディアテク・レコード・コレクション(9)
ありがたき海賊盤

 ストリーミングやダウンロードの時代に、レコード会社は権利を守って従来の利益を上げる方策に苦慮している。ところが音楽産業黎明期は随分デタラメな時代だった。サンプリングはおろか、引用や盗作は当たり前で、レコードを違法に複製した「海賊版」も大量に出回っていた。しかし、ありがたい海賊版もある。1939年8月にベニー・グッドマンのバンドに入団したチャーリー・クリスチャンは、SP盤が許す短い演奏時間内で、驚異的なソロを残している。しかし一日の仕事が終わると、クリスチャンはハーレム地区の「ミントンズ・プレイハウス」でケニー・クラークら若き仲間と夜明けまで共演していたという。グッドマンの束縛や録音の制限から解放され、より自由に実験していた。そこに、若きジャズ・ファンのジェリー・ニューマンが録音装置を持ち込み、その録音をレコードとして発売した。当時、権利をクリアしたとは到底思えないが、この海賊版はいまや、急死したクリスチャンの本来のスタイルを知るうえで欠かせないものになった。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

インターメディアテク・レコード・コレクション(8)
テナーサックスの誕生

 ミュージアム・コレクションに漆黒のSPレコードが数千枚並ぶなか、特別な重みを持つアイテムがいくつかある。なかでもどのジャズ・ファンでも敬愛する一枚が、ブルーバードB10523番として発売された10インチ盤である。紺色のラベルには蓄音機に耳を傾ける犬の絵(ヴィクター社のロゴ「ニッパー」)、レーベル名とコールマン・ホーキンス・オーケストラの名前、そして曲名「身も心も」が金色で印字されている。レコードに針を落とすと、3分間の完全なる至福がくり広がる。1939年10月11日、5年に亘る欧州滞在を経たホーキンスがニューヨークのスタジオで吹き込んだのは、当時スタンダードの格にまで至ってなかった1930年作曲のバラードだった。ところがホーキンスは曲の主旋律にほぼ言及せず、熟練の技量を披露すべく、重層的な即興に臨んだ。曲が終わると、「身も心も」がようやく最終形に至ったという実感とともに、ここでモダン・テナーサックスが生まれたことが分かる。A面があまりにも有名なので、B面の「ファイン・ディナー」をそっくり見落としてしまう人は少なくない。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

エクス・リブリス

 フレデリック・ワイズマン監督の映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』(2017年)。本館を含む計92館からなる図書館システムの舞台裏を取材したドキュメンタリーである。図書館に関わるさまざまな立場の人間にフォーカスすることで、公共施設の実態と課題をさぐり出す。「図書館は単なる書庫ではない。何かを知りたい人々が集まる場である」 作中の建築家の発言が本作の性格を言いあてている。ワイズマンは施設の事前リサーチをしないという。205分の作品を貫く制作者のポリシーを二つ感じた。第一に「言葉の連なりの抽出」である。会議や講座などの諸活動での発言を、主張への評価を交えずに次々にすくい取る。これらの言葉は作品内で徐々に連関し、多様な課題に気づく契機となる。第二に「顔の表情の描写」である。喋る人間のみならず、それを聞く人間の風貌も実におびただしい。多様な人種、民族、職能をめぐる生きたコミュニケーションの記録である。「言葉の連なり」と「顔の表情」は、絶妙な相互作用によって、映像に不断の持続性と固有性をもたらしている。公共性とは何かという単独の結論には向かわない。ワイズマンの驚異的な統合の直観によって再構築された、多元文化に開かれた場所への讃歌である。「エクス・リブリス」の名の通り、この見応えのある分厚いホンも図書館の蔵書の一つになる。

松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)

博物館とフィジカル

 と言っても、美術における身体表現とかそういう話ではない。展示設営はひたすら手作業と力仕事、つまりフィジカルだという話。現在開催中の「Aves Japonicae5」を例にとろう。バックヤードからテーブルの脚と天板を運び出す。邪魔になりそうな標本を一時避難させる。棚板の高さを変えてある場所、棚板を抜いてある場所は、元に戻す(棚板は木材と鉄板で、かなり重い)。スチールの脚を棚とガラス壁の間に設置し、天板を抱いて同じ隙間に入り、標本をはたき落とさないよう細心の注意を払って天板を置く。これを3回繰り返す。そしてやっと、棚の裏から棚板の間に上半身を突っ込んで列品作業である。だが、収蔵展示室で作業するものとして、フィジカル面で最も重要なのはそこではない。展示室の角、オナガドリの後方にある棚の隙間、ここに体をねじ込んで通り抜けられるかどうかが、行動の自由度を大きく左右する。これ以上太ることは許されないのである。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

インターメディアテク・レコード・コレクション(7)
アルバムの可能性

 クラシック音楽では数十分に及ぶ作品はごく当たり前にある。10インチSP盤には3分半しか収録できないことから、レコード会社は早くも一つの作品を分割して複数のレコードに収めた「アルバム」という形式を採った。ジャズメンは逆に、一枚のレコードに収まるように演奏自体を構成した。一方、クラシック音楽のアルバムに倣って1933年にブランズヴィック社が企画した『ブラックバーズ・オフ1928』を発端に、ミュージカルやジャズのSPを束ねたアルバムも普及した。アルバムには表紙があり、ライナーノートが付く。それまでレコードのラベルに範囲が留まっていたグラフィック・デザインが、レコードという商品に全面的に施されるようになる。ジャズ・アルバムの金字塔は、SP時代末期の1949年にノーマン・グランツが制作した『ザ・ジャズ・シーン』だ。グランツは、このコンセプト・アルバムを同時代のジャズの「鏡」と見なし、選んだミュージシャンを自由に演奏させ、曲に自身が解説を添え、ジョン・ミリの写真とデイヴィッド・ストーン・マーティンのイラストを挿入した。しかし不思議なことに、SP盤の技術的限界から解放された現在でも、大抵のポップソングはいまだに3-4分を超えない。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

ブルーノ・タウト

 高崎の碓氷川を臨む少林山達磨寺の境内に「洗心亭」という建物がある。もともとは東京帝国大学の佐藤寛次教授の別荘として建てられた2間(6畳・4畳半)の庵である。ドイツの建築家ブルーノ・タウトは、パートナーのエリカ・ヴィティヒと共に、2年2ヶ月をここで過ごした。タウトは表現主義的モニュメントや集合住宅の設計で知られる気鋭の建築家であったが、ナチス政権の台頭により逃亡を余儀なくされた。1933年5月から約3年半にわたって日本に滞在し、その間、日本の文化や美について多くの論考を残した。日光東照宮と対比して桂離宮を賞賛したことはよく知られており、また新しい建築では東京中央郵便局(現KITTE)を高く評価した。タウトの著書『日本の家屋とその生活』の仔細な観察からは、洗心亭での慎ましい生活を心から楽しんでいたことがうかがえる。「貧は今でも日本人には無意識的に一種の理想的状態とせられており、従って美学の真の基礎をなしているのだ」と述べている。「いかもの」を嫌い、ミニマルな美に豊かさを見出したタウトらしい言葉である。奇しくも高崎の地は、実業家・井上房一郎らを介してブルーノ・タウトやアントニン・レーモンドが足跡を残し、日本のモダニズムの揺籃を支える固有の場所となった。

松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)

新建材

 鳥は自然にあるものを使って巣を作る。だが、それは自然物だから使うわけではない。長さ、強度、弾力性など、機械的特性を満たしていれば巣材として使える。例えば、ヒヨドリやスズメは藁など枯れた植物を使って営巣するが、代わりにビニール紐を使うこともよくある。実際、巣を調べると、ビニールの切れ端やティッシュペーパーまでもが巣材に混じっていることはよくある。彼らの目を通すと、そういった人工物も「使えそうな巣材」なのだ。新建材の利用で有名なのはカラスで、彼らは針金ハンガーをよく利用する。だが、近年はハンガーの材質がプラスチックに変わり、クリーニング屋がつけてくるのも簡易なプラハンガーになった。ところがカラスもこれに適応し、新・新建材としてプラハンガーも使い出したようである。ただ、それでも針金ハンガーの利用は非常に目立つ。プラハンガーの普及度に比べて利用頻度が低いのは、やはり針金の方が自在に曲げられて使いやすいのかもしれない。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

インターメディアテク・レコード・コレクション(6)
スキャット伝説

 ジャズ演奏のなかで独自のスタイルを持った歌唱が定着し、ヴォーカル・ジャズがジャンルとして成立したのは1920年代後半のことである。1925年末にバンドを立ち上げ、積極的に歌い始めたルイ・アームストロングの貢献は少なくない。当時流行していた白人のポピュラー音楽における滑らかにして古風な歌に対し、「サッチモ(アームストロングの愛称)」のざらざらした声が一世を風靡したこと自体が象徴的な現象だった。ところが歌手サッチモにはもう一つの業績がある。1926年2月26日、オーケー社のシカゴ・スタジオで、ヴァイオリン奏者ボイド・アトキンズ作曲の「ヒービー・ジービーズ」が吹き込まれる。これは録音に立ち会った伴奏者たちやプロデューサーものちに裏付けた話だが、アームストロングの回想によると、彼は歌詞が書かれた紙を手にして歌っていたが、紙を落としてしまい、録音を無駄にしないために、応急処置として無意味の音を羅列して歌い続けた。そこで「スキャットが生まれた」という伝説がいまだに根強い。実際のところ、クリフ・エドワーズやドン・レッドマンが先にスキャットを吹き込んでいるのだが、彼らはこのような「伝説」を産むには至らなかった。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

鳥の眼

 日本画家が極めて写実的に鳥を描けたのは、粉本を見れば明らかである。ただ一つだけ、不可解なほどに定型的に描かれているのが、眼だ。日本画の鳥の眼は必ず眼輪に囲まれ、ややアーモンド型をなして、白い虹彩に対して瞳が小さく黒い。つまり、コワモテな三白眼である。実際の鳥の眼は虹彩の色が様々で、カラスのように暗色の虹彩を持つ場合、全体が黒く見える。つまり、決して一様な三白眼ではない。この点はリアルさを欠くと言えよう。だが、鳥の眼がカワイイものと思い込むのも間違いだ。進化的に見れば鳥は恐竜の一派であり、その意味ではまぎれもなく、爬虫類と深い関係がある。ウロコ状の皮膚に縁取られた眼はイグアナにも似て、鳥が決してカワイイだけの存在ではないことも、物語っている。目の周りの白いリングで知られるメジロだって、かわいく見えるのは遠目に見た時だけだ。あなたがメジロを覗き込むとき、メジロもまた、あなたを覗き込むことを忘れてはいけない。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

インターメディアテク・レコード・コレクション(5)
ブルーノートに謎のピンク色

 新商品のシリーズを展開するにあたって、その内容はどうであれ、まずは統一的な「ヴィジュアル・アイデンティティ」を定め、購買欲を促すのは、いまや当然なことである。だがレコード産業黎明期においてはそうでなかった。早くもマーケティングのプロトコルを定めていたエディソンを除くと、多くのレコード会社には様々な迷いがあったようだ。同時期のレコードのレーベルに複数のロゴや相性の悪いフォントを載せるなど、製作者の方針は、いっそ羨ましく思えるほどいい加減だった。そこに、妥協のない音楽制作と徹底したモダン・グラフィック・デザインで新たな風を吹かせたのが、アルフレッド・ライオンらが1939年に設立した伝説のブルー・ノート社である。SP盤の丸いラベルの右上には白地の長方形に青字でレコード情報が掲載され、残りの青地の部分には会社名が白字で大きく載っていた。LP盤時代に入ると、フランシス・ウォルフらの写真が飾るジャケットがさらに有名になる。ところが、ブルーノート社でさえ、そのヴィジュアル・アイデンティティが定まるまで、初期はグラフィック・デザインに迷いがあったようだ。目録番号1番の12インチ盤のレーベルは、白地の部分がなぜかピンク色で埋められ、2番以降も10枚ほど、その部分が黄緑になっている。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

再び、君の名は

 特別展示『Aves Japonicae5 〜色彩の迷宮〜』が開催中である。今回は河辺華挙による「鳥類写生図」の他に、作者未詳の「鳥類真画」を展示に加えることにした。この絵画の特徴は、とにかく「フカワリ」すなわち色彩変異にこだわって記録されていることである。現代の鳥類学的な興味というよりも、変わり朝顔や金魚、あるいはチャボの変種を楽しむような雰囲気が伝わって来る。ところが、肝心の鳥の種類がわからないのだ。例えば「ツグミフカワリ」とあるのは、作者はツグミの色彩変異だと思っている。しかし、単色で描かれた背と翼、黒い頭、赤っぽい腹は、あきらかにツグミではない。赤い腹を素直に解釈すればアカハラで、多少、赤に誇張があるとすれば、脇腹にやや橙色味のあるシロハラかもしれない。どちらも頭が黒っぽい変異もあるのだ。さらに言えば、頭が明確に黒いアカコッコの可能性さえある。アカコッコは伊豆諸島に行かないといないから、知らなくても不思議はない。さあ、この「フカワリ」は誰だ。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

コンポジション

 芸術家の名前を聞いて、その作品のイメージを思い浮かべる。瞬時に想起できる場合もあれば、漠然として結像しにくい場合もあるだろう。ピエト・モンドリアンは、明瞭にイメージしやすい作家の一人ではないか。水平・垂直の線と赤・青・黄色などの領域で構成された図像がすぐに呼び起こせる。しかし実際に描こうとすれば、見かけほど単純ではないことがわかる。領域の大きさ、線の太さ、交差と停止、白の抜け、色の配置、端部の始末。これらは、モンドリアンが試行錯誤を繰り返してきた部分である。初期の樹木のシリーズからデ・ステイルの活動、そして渡米後の「ブギウギ」に至るまで、彼は常に「抽象」と向き合ってきた。それは何かをただ視覚的に省略することではない。「知覚をとびこえて直接、精神に働きかける」(岡崎乾二郎)という抽象の具体的な力が、モンドリアンの作品がもつ喚起力の原点にある。だからこそ、他の芸術家や、建築、モード、デザイン等の分野に大きな影響を与えてきた。写真は教養学部前期課程の授業「空間デザイン実習」における学生の作品である。「赤・黄・青・黒および窓のコンポジション」(藤堂真也)では、キューブ型の住居がモンドリアン的なグリッドで分割されている。色のパターンは各部屋に呼応しているが、内外の立体的な相互関係はむしろ流動的である。抽象の力が空間の拡張可能性につながっている。

松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)

インターメディアテク・レコード・コレクション(4)
スーパーグループの誕生

 チョコレート・ダンディーズ、ブルー・デヴィルズ、マッキニーズ・コットン・ピッカーズ、ニューオリンズ・フィートウォーマーズ。初期ジャズにおけるバンドの命名は黒人文化特有の不条理に満ちたユーモアを表している。レコードのラベルに印字された愉快なバンド名を読むと、それが20世紀音楽の行方を変えたとはとうてい思えない。なかでも、とりわけ間抜けな名前を与えられた伝説的なバンドを選ぶなら、迷わず「レッド・オニオン・ジャズ・ベイビーズ」を挙げる。ジャズにおける初の「スーパーグループ」となったこのクインテットの実績は、1924年末にジェネット社が録音した四曲に過ぎない。しかしその顔ぶれは申し分ない。クラレンス・ウィリアムズの企画で、ルイ・アームストロングがコルネット、バスター・ベイリーがクラリネット、リル・アームストロングがピアノを担当している。そして12月22日に吹き込まれた「ケークウォーキング・ベイビーズ」では、シドニー・ベシェがベイリーに代わり、初めてアームストロングと共に録音に臨んだ。初期ジャズの最も個性的な二人のソリストが再びスタジオで顔を合わせるのは1940年のことだった。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

Lost in translation

 カラスの撮影のために日本に来た海外の映画チームを案内して、渋谷を歩いた。といっても監督とカメラマン、音声、そして日本側コーディネイターの4人で、フットワークはすこぶる軽い。朝、ゴミを漁るカラスを撮影した後、私たちはセンター街のビルに登り、カラスと同じ視点から街を見た。眼下には人間のビジネスアワーが始まりつつある大都会。数時間前までは、歓楽街として賑わっていた辺りだ。そして、その二つの時間帯が切り替わる夜明け、徹夜で飲み歩いた人々が始発電車を待って引き上げる頃、ゴミを求めてハシブトガラスがやってくる。人間は地べたを、カラスたちは上空を、2つのレイヤーが重なり合うように、言葉の通じない2種の動物が、お互いを微妙に避けながらすれ違ってゆく。スイス人の監督がこの街を撮影したのは、ソフィア・コッポラの映画「Lost in translation」のスクランブル交差点のシーンが念頭にあったのではないか、と考えてしまった。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

空間と図法

 空間や立体物を2次元で表現するにはいくつかの図法がある。仮に直方体を描くとして、もともと平行な線を平行に描くのが平行投影法、点に収束するように描くのが中心投影法である。前者の例としては、真上から見た平面図、真横から見た立面図、斜め上から見た軸測投影図がある。一方後者は、線遠近法としても知られる透視図である。さまざまな図法は我々の空間概念の多様性に呼応している。先史時代のラスコー洞窟壁画では既に動物の並列/前後関係が描かれている。エジプト美術では人物を立面的に描き空間を上下に重ねていく。日本美術では平安以降の絵巻物等で軸測投影に近い図法が頻用される。西洋では中世以降に遠近表現が生まれ、ブルネレスキとアルベルティによって透視図法が理論化された。同じ大きさの物でも遠くにあるほど小さく見え、平行線であっても点に収束して見える。絵画における空間表現の展開は、このような実体と認識を架橋する方法の歴史でもある。フィレンツェのウフィツィ美術館には4人の画家による「受胎告知」がある。古い順に見ると、マルティーニでは物の前後関係が意識され、バルドヴィネッティでは遠近表現が顕在化し、ダ・ヴィンチにおいて透視図的な空間が完成し、ボッティチェッリでは空間の分割が精緻化する。図法は空間を発見するツールでもある。

松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)

インターメディアテク・レコード・コレクション(3)
10インチと12インチの差

 1920年代、録音が持つ可能性を自覚していなかった演奏家は少なくない。のちにポピュラー音楽のカリスマとなり、無数のレコードを出したファッツ・ウォーラーもその一人だった。若きウォーラーは、定職として映画館で上映の伴奏し、作曲したメロディーを音楽出版社に安価で譲り、生演奏で生計を立てていた。ところが1930年代からレコードが爆発的に売れるようになると、ウォーラーは気に入らないポップス・ソングを次々と吹き込まされるようになる。嫌気がさしたウォーラーはそのメロディーが崩れるまで大げさに歌うことが多々あったが、皮肉なことに、曲を崩せば崩すほど、レコードはよく売れた。とはいえ、ウォーラーは真剣な録音にも取り組んだ。1937年には4分半に及ぶ名演奏を2度吹き込んだが、その曲は10インチSP盤に収まるように約3分にカットされ、ヴィクター社25779盤として発売された。アンカットの録音が12インチ盤で発売されたのは、ずいぶん後のことだった。その理由は単純だった。1937年にはまだ、12インチはクラシック音楽の特権であり、ウォーラーの音楽は大判レコードに収録する価値がないとされていたからだった。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

インターメディアテク・レコード・コレクション(2)
黒鳥が「カラー・ライン」を超えた時

 ジャズ史は様々な観点から語られてきたが、ジャズの成長とともに生きた当事者たちは、生演奏のほか、ラジオとレコードを介してこの新たな音楽と接した。いまいちど「レコード」というものに立ち戻り、それを基軸にジャズ史を辿ると多くの発見がある。まずは、その黎明期においてジャズを実際に生み出した黒人ミュージシャンに録音の機会がほぼ与えられなかったことが分かる。ニューヨーク・ハーレム地区の「コットン・クラブ」をはじめ、名会場が黒人ミュージシャンと褐色の肌のダンサーを舞台に立たせながらも白人客のみを受け入れていたように、レコード会社も明確な差別を行っていた。1920年大ヒットしたマミー・スミスの「クレイジー・ブルース」を皮切りに黒人音楽のレコードが普及しても、それらは「レース・レコード」として別扱いされた。しかし、米国社会そしてジャズの基本条件であった「カラー・ライン」を早くも超えた男がいた。音楽出版社ハリー・ペースは1921年にハーレムで初の黒人経営によるレーベル「ブラック・スワン(黒鳥)」を立ち上げ、レコーディング・マネジャーとしてフレッチャー・ヘンダーソンを起用した。これが黒人によるいわゆる「インディー」系の先駆けとなった。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

オーチユーの謎 その2

 さて、以前にカラスバトの剥製台座に書き込まれた「オーチユー」という謎の言葉について書いた。オーチユー、という鳥は思い浮かばないが、よく似た名前の鳥ならいる。オウチュウである。オウチュウはアフリカから東南アジア、中国南部にかけて分布する鳥だ。全体に黒っぽいものが多く、長く二股になった尾の先が巻き上がっているのが特徴。さて、この鳥、中国語では「巻尾(チュンウェイ)」である。英語だとDrongoだが、もとはマダガスカル語だそうだ。学名はDicruridaeで、ギリシャ語のdikros(二股の)が起源らしい。いずれもオウチュウにはほど遠いが、なぜ、本人が分布もしない日本でだけ、オウチュウなどという名前がついているのか。ここで妄想をたくましくしてみよう。台湾や南方でオウチュウを見た日本人と現地人の間で「あの黒い鳥はなんだ」「烏鳩のことか? あれはオーチューだ」といったやり取りがあり、勘違いの果てに「オウチュウ」として定着した、というのはどうだろう。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

インターメディアテク・レコード・コレクション(1)
「史上初」のジャズ録音

 歴史は「出来事」を好む分野である。音楽史においても同様だ。「ジャズ」はその歴史から、起源も名前自体の由来も不明であって当然。しかし、誰もが合意できる「誕生日」を求める人は少なくない。定説によれば、ニューオリンズの白人オーケストラ「オリジナル・ディキシーランド・ジャス・バンド(ODJB)」が1917年2月26日にニューヨークで吹き込んだヴィクター社18255盤が史上初のジャズ・レコードとされている。その根拠として、レコードのラベルに初めて「ジャズ」(正確には「ジャス」)という単語が載ったことが挙げられる。ところがこのバンドはそれより一ヶ月早い1月30日にすでに二曲を録音しているが、ヴィクター社はそれらをすぐ発売しなかった。そもそも、19世紀末ニューオリンズの黒人やクレオール人の間で誕生したジャズは、白人が動物の叫び声を真似しながら黒人の音楽を演奏するODJBを待たずに、「ラグタイム」や「ブルース」の名ですでに録音されていた。ただ、そのレコードには「ジャズ」という単語が印字されていなかったのである。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

考える模型

 模型を作る目的は二つあると考えられる。一つはすでに存在する事物を正確に記録することであり、いま一つは未だに存在しない事物のイメージを示すことである。すなわち模型は事物の再現と予示に関わる。たとえば、図面資料に基づいて精緻な縮小版をつくる「完成模型」と、設計プロセスで無数に生み出される「スタディ模型」がある。前者は実物のフォルムやマテリアルの複製が主眼となり、熟達の専門家が制作することもある。かたや、後者はアイディアをカタチにする手段であり、設計者が自ら手を動かすことが多い。コトバやスケッチといった手段に比べて、模型は対象を突き放し、視点を客体化するところがある。制作途中の模型をいろいろな角度から見回し、納得できなければ延々と試作を繰り返す。これは何かを真似る模型ではなく、考える模型である。スタディ模型の制作はスピード勝負なので、作り方は意外とシンプルである。カタマリ系の手法とボード系の手法に大別できる。ボリュームを検討するときは、スタイロフォームに熱線カッターをあてて立体を直接切り出す。内部空間があるような模型では、スチレンボード等の厚紙を切って組み立てて作る。デザイン系の学生が最初に学ぶのは、こういった考える模型の方法である。

松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)

オーチユーの謎

 山階鳥類研究所より寄託されている標本の中に、カラスバトの剥製がある。この標本は明治時代のものと思われるが、台座に「土語 オーチユー」と墨書されている。はて、オーチユーとは? そんな地方名は聞いたことがない。第一、このユは小さいユの可能性もある。しばらく考えて、漢字で烏鳩と書いて中国語で読めば「オーヂュウ」「オーチュウ」「オーチョウ」などと聞こえるであろう、と気づいた。そうか! この鳥は山東省にも分布するから、これはきっと中国産で、現地語を書き込んであったのだ。ところがラベルには「アカガシラカラスバト」とも書いてある。これは困った。アカガシラカラスバトは小笠原固有亜種で、中国には分布しない。では小笠原に中国語が伝わって? 1826年から50年ほど、小笠原には様々な国の人が来ては去っていたようであるし、中国語が持ち込まれていたことも、あっただろうか? それとも、「アカガシラ」の方が間違い? 古い標本にはこういった謎と悩みが尽きない。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

ラベル

 標本には情報を示したラベルがつけられている。標本の管理用のものなので、展示状態で見えるとは限らないが、情報が読めなかったとしてもラベルが語ることは色々ある。書式の違うラベルが複数ついていれば、おそらく、複数の所蔵先を渡り歩いた結果である。種の同定が改められれば、「以下の理由で同定を改める」と書き込んだラベルも付く。書き方も様々だ。タイプ打ち、活版印刷、手書きと各種あるし、手書きの場合もその筆記具は鉛筆とペンがある。流麗な筆記体で描かれたペン字は味があるが、鉛筆にも大きな利点がある。鉛筆はアルコールや水で滲みにくく、また筆圧が高いので筆跡が残りやすい。液浸標本にラベルごと入れてしまうことも可能だ。ブロック体か筆記体かにも議論がある。ブロック体は万人に読みやすいが、筆記体は個人差があるため、誰が書いたものかを特定しやすいのである。当館で私が受け持つ標本には、IMT用に古風な二重枠線のラベルを作って取り付けることにしている。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

デジタル時代の借景

 現代美術館の展示会場に作品が並ぶなか、白い箱が空中に浮いている。長さ5メートルのスクリーン4面が箱を形作るように天井から吊られている。その内側に入ると、富士山の山頂に漂う雲の古い映像が連続的に投影されている。ある笠雲がスクリーンからスクリーンへと流れ、そしてまた他の雲が現れる。気象学者・阿部正直(1891-1966年)が1926年から継続的に撮影した雲のフィルムをアーカイブ化するなかで、「CLOUD BOX」と題した映像インスタレーションを構想した。空中に浮いている画面にあらゆる種類の雲が浮かび、屋内にある展示会場に一つの窓を切り開き、新たな時空間を生み出す。立ち位置によっては、雲が投影される画面が空中に浮いているように、もしくは壁に穴が開けられたように、あるいは天井自体が雲で覆われているようにも見える。日本庭園の基礎概念である「借景」をデジタル時代の現代美術館の会場で再解釈したものだ。写真は2017-2018年にニュルンベルク新美術館で開催された、日本の美学をテーマにした特別展示の会場風景。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

牙の行方

 IMTには今年の干支、イノシシの頭骨がいくつかある。イノシシは成長すると犬歯が長く伸び、口の外まで斜め上に突き出して来る。ではイノシシの牙は下顎から生えているのか? 答えは「半分正解」だ。イノシシの牙は上下にあるが、どちらも同じ向きに伸びる。こればかりは実物を見ていただかないと意味がわからないと思うが、上顎の歯槽の一部が横方向にはみ出して捲れ上がり、上顎の牙も横向きに生えて来るからだ。また、上下顎の犬歯は前後に並んでおり、しかもピタリと合わさるようになっている。口を閉じていると1本の牙のようにも見えるが、実際は2本だ。そして、合わせ目が常に磨かれているがゆえに、そのエッジは鈍角ながらも触れれば切れそうな鋭さを保ち、鉈や鎌といった「道具」としての凄みを漂わせている。もう一つ、奇怪な牙を持つのが東南アジアに住む、イノシシに近縁な動物であるバビルーサだ。これはもう、ここに書くよりも展示中の頭骨を見ていただく方が早い。何がどうなっているのか首をひねるのも一興である。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

インターメディアデザイン その五
特別展示「アートか、サイエンスか」より

 展示されている機器には、当時の最先端の技術を備えたドイツ、フランス、アメリカ製などの舶来品がある。文部省が交付したいわゆるオリジナルである。これらの高価であった機器の財政負担の軽減と普及のために、国内の数社によって模造が始まった。全てがコピーできたわけではないにせよ日本の物理学と技術発展に大きく貢献したのだ。そこには職人たちの試行錯誤と創意工夫、平たく言えば職人魂があったに違いない。なぜなら、教育用実験機器である限り、その成果が得られなければガラクタでしかない。言ってみれば、解のある方程式の公式を「製作」するようなものである。一方、その技量が別のベクトルを示したものが工芸や美術であり、ガラクタさえも意味を与えればアートになるのだ。そして、その中間には何があるだろうか。中間といっても分類上ではなく融合として。少なからず展示デザインはその部分に接触する。三角形の展示ケースに入れられた三角プリズム、旧式のエレベータ内に置かれた電話機、職人魂を魅せるには時に遊び心も必要である。人間はモノや構図を5分以上見なければ詳細に記憶できないらしい。深い洞察をもって見なければ、如何なる価値をも見い出すことはない。自己への教訓である。

関岡裕之(東京大学総合研究博物館特任准教授)

出版計画再構築中(13)

 書物が好きで、しかも蒐集癖がある。すると身の回りの各所に本が平積みされ、やがてそれらが柱状に成長し始めることになる。私の場合、もっとも太い柱をなしているのが雑誌である。明治初めから戦前にかけ発行された美術雑誌を片端から集める。そう考え始めたのはかなり以前のことである。動機は紛れない。国内には本当の意味で頼りになる美術雑誌アーカイブがどこにも見当たらないという事実に気がついたからである。有力な出版社であるなら、少なくとも自社発行の雑誌くらい、社内のどこかにコンプリート・セットを保持していて不思議でない。否、そうあるべきであり、それが出版社の負うべき社会的な責任というべきものであろう。そう思っていたのであるが、その考えは見事に裏切られた。以来、文献については、公的機関、出版社、いずれにしても他者を当てにするのは止めよう。そう考えるようになったのである。古い雑誌を手許にして初めてわかることがある。巻末の編者・出版者の後記、彙報、投書、交換録といったものから読み取れる雑情報がそれである。神は細部に宿るの喩えを引くまでもない。

西野嘉章(インターメディアテク館長・東京大学総合研究博物館特任教授)

映画のような建築

 建築を映画のように設計できるだろうか。建築も映画も「空間」が基調となり、そこで人間の活動が展開する。映画監督が執心しながら、建築家にはコントロールしがたいもの。それは「動き」と「時間」ではないか。フランスの哲学者ジル・ドゥルーズは、『シネマ1』および『シネマ2』において、運動イメージと時間イメージという概念を提起した。リュミエール兄弟による列車到着シーンのような時間が運動に従属する「運動イメージ」から、運動が時間に従属する光学的音声的状況としての「時間イメージ」への転換が映画のなかで起きているという。この考え方を受けとめるなら、おそらく建築側の関心は、運動や時間を今いちど空間に結びつける可能性を探ることにあるだろう。機能的なプログラムを一つの建築に対置させるのではなく、人間の意思と行動に依拠して「運動、時間、空間」を再編成し、ある種の「時空間連続体」を組み立てる。そのような建築は、道のような流れがあり、網目のような繋がりをうみ、モザイクのような多様性をもち、雲のような曖昧さをはらみ、そして何より、映画のような運動/時間の自由度があるものかもしれない。法政大学大学院の下吹越武人さんと、以上のようなテーマでデザインスタジオをやることになった。

松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)

インターメディアデザイン その四
特別展示「アートか、サイエンスか」より

 5年前に訪れた金沢県立自然史資料館の収蔵庫にて、思いがけないものに遭遇した。思わずこれは何ですか?と質問する。現在の金沢大学にあたる旧制第四高等学校で使用されていた教育用物理実験機器だという。その形状といい、色といい、その不思議なものは、自然界における不思議を垣間見せる装置であった。そして5年後に展示を実現することができた。それが本展である。展示デザインは、質感や色彩、モノのフォルムと展示造作とを対比させるのが常套手段である。確かにこれらが真白い空間に置かれていれば、それだけで美しい展示であろうことは容易に想像できる。しかしあえて逆手にとった。モノを構成しているのは、いわゆる鉄、ガラス、木材といった素朴な素材であるのに加えて、人の手といくつもの時代を経た「ほこり」をまとっている。当時の高価で貴重な教材に、多くの学生は食い入るような眼差しで実験を見守ったであろう。故に哀愁を醸し出している。そこには本物の時間が血液のように流れているのである。それと同調するように錆びた鉄枠の台座、ガラス板、飴色の壁面が空間を構成する。当時、文化祭があったとすれば、資金も資材もない学生たちは、こんな展示をしたのではなかろうか。そんな後味が残ればよいと思う。

関岡裕之(東京大学総合研究博物館特任准教授)

豚足から骨を取り出す28の方法 (1)お湯に浸ける

 皆様平素よりご来館まことにありがとうございます。平成最後のクリスマスはいかがお過ごしでしたか? 自分は胃炎で苦しんでいました。1個目の豚足は、自分が博物館の標本として骨を取り出す際によく用いていた「お湯に浸ける」方法で対処しました。皮や筋など刃物を使って取り除き、指一本ごとネットに包み下処理をした豚足を水にいれ、一緒に70℃~75℃まで温度を上げていきます。沸騰はダメです。この方法は、料理で出汁を取る方法とほぼ一緒です。出汁を最後までとり切って骨だけが残る、それが「お湯に浸ける」方法です。今回の機材は特別なものではなく、炊飯器の保温機能を利用しました。7日ほど浸けると硬い筋や軟骨まで溶け、外側の軟部組織を取り除くことができますが、内側にある骨髄を取り除くためにはもう2週間かかります。温度変化で骨が割れないように4日おきにお湯を交換しながら浸けて、骨髄の脂も可能な限り抜いていきます。残念ながらそれでも完全には抜けきらないので、この後有機溶剤に漬け込んで脂を抜く必要があります。劣化が少なく、安心して触れる骨が得られるので、自分は好きな方法です。

中坪啓人(東京大学総合研究博物館特任研究員)

出版計画再構築中(12)

 出版計画のなかには、近く刊行の約束されているものもなくはない。『前衛誌——未来派・ダダ・構成主義』の日本編二冊本がそれである。外国編二冊本を出版してから、すでに一年以上が経ってしまった。二〇世紀の両世界大戦間に実在した前衛芸術運動のネットワークをグローバルな視点から記述し尽くす。その大風呂敷な論題と取り組みを始めたのは、一九九〇年代のことであった。一部は国際芸術センター青森の年報に掲げられており、この連載を創刊以来二十年ものあいだ受け入れ続けてくれている同センターには感謝の言葉もない。書き続け、書き続け、気づいてみると、四百字詰め原稿用紙で五千枚、図版二千点超にもなっていた。出版が具体化するなかで、外国編と日本編の二部構成が現実的であるとの考えに至り、各々をさらにテキストと図版で二分冊化することになった。長い時間を費やした本には強い思い入れもある。装釘をどうするか、悩み始めればきりがない。中身を生かすも殺すも外装しだい。そう思いつつも、やはりエイッ、ヤァーと一気呵成の勢いで、腹を括らざるを得ないのである。

西野嘉章(インターメディアテク館長・東京大学総合研究博物館特任教授)

頭上の影

 先日、冬鳥を観察に行った帰りに、埼玉県内の国道を通った時のことである。フロントガラス越しに頭上を横切る鳥の群れが見え始めた。カラスだ。だが、なんとなく尾が短い。その時、運転していた共同研究者が「電線!」と叫んだ。見上げると電線にずらりとカラスが並んでいる。私は窓にへばりつくように見上げ、小柄なカラスが混じっていることを確認した。「コクマルいます!」と告げると、ドライバーは国道を外れて左折し、裏道を通ってカラスが止まっていたあたりまで車を戻した。そこで見たのは、久しぶりの、冬の使者だった。ねぐらに戻る途中のミヤマガラスとコクマルガラスが集団で電線に止まり、休憩している。彼らは冬になると日本の田園地帯に飛来し、越冬する冬鳥だ。ミヤマガラスはハシボソガラスより少し小さく、コクマルガラスはうんと小さくてハトほどでしかない。個体数、成鳥/幼鳥比などを数えていると、ミヤマガラスたちは「からら」「からら」と鳴きながら次々に飛び立ち、ねぐらへ向かって行った。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

東京大学の画工――近澤勝美

 東京帝国大学が刊行した大学紀要に、論文筆者である大学研究者だけでなく、画工、つまり学術上の研究対象を専門に描く人物が深く関与していたことはあまり知られていない。特別展示『医家の風貌』(MODULE)に展示されている『帝国大学紀要医科』第四冊(1900年/東京大学総合研究博物館所蔵)の図版の片隅には、「K. Tikasawa del.」や「Lith. Y. Koshiba」の文字が小さくみえる。これによりこの図版はK. Tikasawaが描いた原画をもとに、小柴英創業の印刷会社で石版にされたものであることがわかる。私はK. Tikasawaとは近澤勝美のことだろうと考えている。近澤は静岡の士族出身で、東京医学校や東京大学に勤務し、『美術応用解剖学』(1892年)や『アヂソン氏皮膚病図』(1897年)等の医学分野の図を専門に手がけた人物であった。1874(明治7)年5月の東京医学校雇入に関する伺文書には、外科手術につき截断の形状を「生冩」し、薬物学の講義や薬局で扱う草花を「眞模」する要員として近澤を雇い入れたい旨が記されている(「職務進退」東京大学文書館所蔵)。図版にあらわされた腫瘍の断面や拡大した組織の描写は細密を極める。大学に奉職した画工が残した確かな仕事の痕跡をみることができる。

藏田愛子(東京大学総合研究博物館特任研究員)

豚足から骨を取り出す28の方法

 皆様平素よりIMTへのご来館誠にありがとうございます。まだ来館されていない方は、ご来場をお待ちしております。ところで、平成最後の夏、皆様は何をされましたでしょうか? 私は豚足を10kg買いました。数えたら28個ありましたので、それぞれ別の方法で骨を取り出したいと思います。「骨を取り出す」は言い換えれば、骨の周りについている、軟骨や筋、筋肉、脂肪、皮膚、そして骨の内側の骨髄これらの軟部組織をすべて取り除いて、リン酸カルシウムの塊のみを取り出すことです。そして博物館としては、その骨を文字情報と共に標本として半永久的に保存したり研究などに用いるわけですから、薄い骨、細い骨尖った骨でも極力いたまないようにちょっと手間をかけて取り出します。一方ちょっといたんでもいいから簡単に安く骨を取り出せる方法もあり、そちらも合わせて試してみます。マニュアルとしては、書ききれないので"やってみた"程度のことしか書けませんが、日常生活にも「骨」っていっぱいあるんだなって思ってもらえれば幸いです。

中坪啓人(東京大学総合研究博物館特任研究員)

三宅秀書簡集成(1)――植物学者・白井光太郎(1863-1932)

 当館所蔵三宅コレクションの書簡の一部を紹介していく。白井光太郎は東京帝国大学農科大学教授(1907-1925)で、わが国の菌学特に植物病理学の開祖である。森林植物学の開拓にも貢献、本草学史研究の先駆者でもある。白井から三宅秀(1848-1938)宛ての書簡は、阿部檪斎翁の事蹟についてご教示を賜ったことにより、取調の方針を得たとの礼状である。江戸後期の本草家・阿部檪斎(1805-1870)は採薬使として知られる阿部将翁の曾孫で、岩崎灌園に学び、文久元年(1861)咸臨丸による幕府の小笠原諸島調査に加わった人物である。白井の未完の著書『本草百家伝』(木村陽二郎編『白井光太郎著作集第VI巻』科学書院、1990年)に「阿部檪斎」の項目があり、そのための質疑応答であろう。白井は1910年、三宅が古道具屋で購入した腊葉帖の鑑定を依頼され、渋江長伯が文化年間に作製したものと判断している。後年には三宅の講演筆記寄贈に対し、白井は天明飢饉が黒砂糖の需要の契機であると教示するなど、分野を超えた二人の交流は長く続いた。

白石愛(東京大学総合研究博物館特任助教)

森の建築

 植物学の大場秀章東京大学名誉教授に小石川分館の建築博物教室でご講演をいただいた。『生物共生のアーキテクチャ −−多様な生き物と共生する建築を考える』と題し、共生という視点から建築のあり方を根本から問い直すお話しであった(→ご講演のハンドアウト)。人間社会が自然と対立するのではなく、ヒトが生物多様性の一員であることを再認識し、自然との共生の途を探ることを提唱された。大場先生は、森に還るにふさわしい地域作りとして、建築が森に散在する岩や石のようにみえる修景をイメージされている。今回のご講演に合わせて、住居の変遷を示すモバイル展示が制作された。時計回りに、森林、洞穴、始原の小屋、竪穴式住居、高床式倉庫、組積造建築、ドミノ・システム、緑化建築が並び、再び森につながる円環状の構成をなしている。屋根をかける(小屋)、床をはる(高床)、壁をたてる(組積)といった技術によって、人間は自然から空間を獲得した。それを閉鎖・拡大・集積することで人工環境を増やしてきた。このような「囲い・隔てる」という建築の従来の役割に対して、「開き・結ぶ」ことで空間とその境界のあり方を再考することが求められているのではないか。自己完結的ではない相互依存的なアーキテクチャはどのようなものか。それを考えさせられる示唆多きお話しであった。

松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)

出版計画再構築中(11)

 書きかけたまま放置されている原稿がある。「雲の伯爵」こと阿部正直の評伝である。遺品が博物館へ寄贈され、展覧会を企画立案するなかで、阿倍の類稀な人物像に打たれ、世に知らしめずにいられないとの思いに囚われた。東京下町の料亭の大広間で「キネマトグラフ」の初上映会に立ち会い「動くイメージ」の魅力に取り憑かれた。齢八才のときのことである。十代半ばには自作の箱形カメラで、静止画だけでなく動画の獲得に成功している。今日云うところの「ドローン」に近いものを工作し、高いところから地上を見下ろす写真まで、大正時代に考えていたのである。江戸幕府で筆頭老中を務めた福山藩主の家を継ぎ、御一新後に「伯爵」となった正直は、一代で家督のすべてを富士山頂に生成する山雲の研究に費やした。「殿様の酔狂」と揶揄されながら、最終的に、雲の生成過程を動画で記録し、3Dで可視化してみせた正直の功績は、世界的に見ても画期的なものであった。「戦前」ということで忘却させるのは、あまりにもったいない人物なのである。

西野嘉章(インターメディアテク館長・東京大学総合研究博物館特任教授)

移動基地

 IMTには年に2度、1週間の特別閉館がある。この間に行われるのが、標本点検。館内にある全ての展示ケースを開け、標本をじっくりと見る。破損や変化がないか、虫食いやカビの兆候がないかを確認し、害虫トラップを交換し、気になる「何か」があれば顕微鏡で正体を確かめる。単なる埃なら良いが、生物由来のものである場合、カツオブシムシなど標本害虫が発生している可能性もあるからだ。木造品の歪みやクラックの点検も行われる。さらに別班はバックヤードを含めて館内の清掃、整頓を行い、キャプションの追加・訂正・更新なども行う。この作業の間、標本点検に活躍するのがキャスター付きの作業テーブルだ。ここに工具箱、防虫剤、アルコール、ピンセット、柄付き針、文房具、掃除道具、館内マップ、ノートパソコンなど一切合切を乗せ、館内を縦横に移動しながら作業を進める。この1週間、作業テーブルの行くところが仕事場になり、テーブルは移動基地、あるいは防虫母艦となるのだ。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

チャンディガール

 インドに行ったのは2000年である。脳裏に深く刻まれることの多い旅だった。到着地のニューデリーでは無方向的な交通のカオスに驚愕し、ヴァラナシでは日常的な生と死の共存に感じ入り、ジャイプルでは宇宙観察の精緻な造形に瞠目し、ジャイサルメールでは砂漠を臨む高密都市に胸躍らせた。当時も垣間見えた急速な変化の流れに、今ならば圧倒されるだろう。一方、北部の都市チャンディガールには、他所とは異なる存在感があった。インド・パキスタンの分離独立によって生まれたパンジャーブ州の新州都は、ル・コルビュジエによって1950年代に計画された。巨匠建築家が晩年を費やした作品群は、インターナショナルでありながらリージョナルであり、パーソナルな世界観に裏打ちされている。コルビュジエ自身が世界に示したモダニズムの方法論が、地域や環境との応答を経て変容したさまを空間体験できる場所といえようか。当館小石川分館では特別展示「チャンディガールのル・コルビュジエ」を開催中である。東京大学建築学科の千葉学研究室の監修により、同研究室が制作したチャンディガール中枢部の建築模型3点と、コルビュジエのスケッチが展示されている。並びたつ安田講堂の模型からスケールが推し測れるが、その空間の大きさと密度に現地で身震いしたことを思い出す。(展示は2月11日まで。写真の総合庁舎の模型は継続展示)

松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)

出版計画再構築中(10)

 しばらく前のことになる。「プロレタリアート(無産者)」という言葉を「プロレタリ(ア)・アート」と読んでみたらどうか、という説に出合ってびっくりしたことがあった。この面白くも意味深な解釈を唱えたのは、あの荒俣宏さんである。戦前のプロレタリア文芸は言われるほど教条主義的なものでない、けっこうイケていて、とんでもないものがゴロゴロしている。それが荒俣さんの云わんとするところであった。私は私で、「プロレタリ(ア)・アート」という言葉を見て、我が意を得たり思った。荒俣さんが再評価したプロ文芸群の、それらの中身でなく、書籍としての外装に、尋常ならざるものを看取していたからである。大正末期から昭和初期にかけて、国内の無産者運動は、革命後の「新ロシア」にその範を求めた。印刷メディアがそうである。おそらく広く世界を見渡しても、当時の日本で印行されたプロ文芸書・労農雑誌のグラフィクスほど、「ロシア革命的なもの」は滅多にない。ということで、このまま過去の歴史として埋没させていまうのは惜しい。「赤(コミュニズム)」と「黒(アナーキズム)」の図版満載の本になると思う。

西野嘉章(インターメディアテク館長・東京大学総合研究博物館特任教授)

丸の内カラス事情2

 丸の内のハシブトガラスペアは今年も元気だ。この春はまたしても、並木に巣をかけている。だが、今年は5月になって葉が十分に展開するまで待ったので、まだバレていないようである。撤去もされていない。だが、IMTのオフィスの、私のデスクの後ろの窓からは巣が見えている。もちろん裸眼では厳しいが、そのつもりで見れば「あれが巣」とわかるものは見える。双眼鏡なら完璧だ。時々観察していると、親鳥が給餌に来るのが見える。先日からは巣の中に頭を差し入れているので、中に雛がいるのだろう。せっかくなので三脚を立てて望遠鏡を乗せ、同僚にも見てもらった。ところが、「どれが巣かわからない」「葉っぱが茂りすぎて見えない」と大いに不評であった。鳥類学者としては、あれほど明確に見えていれば御の字なのだが…… それどころか、見上げるのではなく、水平方向に見えるだけでも大助かりなのである。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

君の名は

 館内に「カエル骨格標本コレクション」と銘打ったコーナーがある。キャプションには「明治10年代?/佐々木忠次郎か?」とある。博物館のキャプションがかくも曖昧なのはお叱りを受けそうだが、実際、こうとしか書きようがない。わかっていることは僅かだ。まず、この一連の標本は理学部から出たものである。一体だけ、ヨーロッパアカガエルの標本があるが、他のカエルたちは、鼻面の形状や頑丈な前足などから、全てヒキガエルとわかる。現在なら解剖実習にはウシガエルを用いるが、これは1920年代に日本に持ち込まれた移入種だ。それまで日本で入手しやすい大型のカエルはヒキガエルだった。つまり、この標本はウシガエルがいない時代のものだろう。その他、台座の特徴などを比較して、明治時代、それもかなり古いものと判断した。その時代にカエルを解剖し続けたというと、モースやホイットマンの下で動物学を学んだ佐々木忠次郎か? とまあ、こういう推論をしてのことである。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

展示空間としての図録

 特別展示『石の想像界』の図録は、展示の延長線上に考えられた。石の外皮のように、図録の外装はグレーでザラザラしている。表の写真は石器、裏の写真は結晶模型。この対比が、銀色の縦型の帯に印字されている展示のタイトルを示唆する。帯を外し、本を開くと、貴石の内側のように輝かしい、青い内表紙が見える。ポートフォリオのようにページは全て未綴じで、不用意に開くとバラバラになる。斜め読みするのに決して便利ではない。本文が銀の冊子に纏められ、図版ページはポスター仕様の白い紙に印刷されていて、折られた状態で六枚収まっている。個々のポスターを広げると、テーマ別に分類されている図版が自由に配置されており、綴じられた本のページに連続的に掲載される図版とは異なる、より複雑な関係性を持っている。この特殊な仕様によって、展示の空間的体験を紙上に再解釈してみせた。展示空間を自由に歩き回るように、読書体験は直線的な展開から解放される。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

改めて、謹賀新年。

 施設のオープンから丸五年が経過し、つつがなく六年目の春が迎えられることを、スタッフ一同で言祝ぎたい。光陰矢の如し、とはよく言ったものである。たしかに、過ぎ去りゆく時間の流れは捉え難い。とはいえ、その経過を可視化できないものだろうか、そのような考えに端を発して始められたプロジェクトがある。それは、長期に亘る「展示」が標本にどのようなダメージを与えるかという問いと通底し合う。たとえば油彩画の場合、長時間に亘る光の照射がいかなる経年変化を作品にもたらすか、それを光学的に実証してみせようとする試みである。高橋勝蔵の描いた医学部解剖学教室初代教授『田口和美像』は、学内に残された最古の公的肖像画と目される貴重な学術遺産であるが、画面の劣化が進み、保存上、危機的な状態にあった。開館時から展示されていたが、洗浄修復を経て、見事に生まれ変わった。この間の変容するさまを、カメラで定点観測し続けてきたのが松本文夫特任教授である。画面の表情の僅かな変化を定期的に記録し続けるには、多大な労力と忍耐が求められる。ミュージアムは、表立った、華やかな事業ばかりでなく、このような地道な活動にも支えられている。五年間の安定した運営の基盤もそこにある。この一年も、国内外の機関・個人から実に多くの支援と鞭撻を賜った。この場を借りて御礼申し上げるとともに、新たな気持ちで新年を迎えることのできる幸せを感じている。改めて、謹賀新年。

西野嘉章(インターメディアテク館長・東京大学総合研究博物館特任教授)

用途不明の機能美

 バナーストーンは、縦長の穴の空いた、左右対称の磨製石のアーティファクトであり、北米に出土する。北米考古学において、平たいベースに斜めの穿孔が二つ開けられ、抽象化された鳥や動物を表すバードストーンとともに用途が究明されていない「問題の形」である。祭儀物として埋葬され、時には装飾品として使用されていたというのが定説である。1939年に発行された先駆的な研究書で、バイロン・ノックブロックはバナーストーンを8つの原型に属する32のタイプに分類した。展示中のバナーストンには、砂時計型、三日月型、鞍型、蝶型がある。完成度の高い磨き、ビュアな輪郭、そして石の豊かな模様。完全なる造形美を持ち合わせたこのアーティファクトは、用途が不明であるがゆえに、抽象的彫刻の原型にも見える。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

彫刻の記憶

 石といえば石彫。古典美術においてごく当たり前であったこの公式が、現代美術において通用しなくなった。美術の古典的なジャンルが崩壊し、「インスタレーション」や「ミクストメディア」など複数のジャンルを横断する作品が増えるなか、石を淡々と彫刻作品に仕上げる作家が減ったからである。モデルをスキャンし、そのデータから3Dプリンターで立体物を自動的に製造できる時代には、彫刻技術自体が工業化している。一方、失われつつある彫刻技術への哀愁を漂わせる作品が多く観られる。シャルロット・モフの石版シリーズ『思考する作業、作業する思考』(2012-2013年)は、パリの広場に設置されたジュール・パンダリエスの大理石彫刻作品『労働者の休息』を部分的に撮影し、反復的にプリントしたものである。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

大槌文化ハウス

 東日本大震災から7年9ヶ月がたった。東京大学総合研究博物館は、岩手県大槌町の復興支援のために2013年9月に「大槌文化ハウス」を設営した。中央公民館の一室に人が集う大テーブルと3500冊の寄贈図書を配した小さな文化施設である。オープン後の中核的な活動の一つとして、社会教育プログラム「東大教室@大槌」を実施してきた。東京大学の研究者を講師とする教室が合計60回開催され、地元の熱心な参加者の方々に支えられた。東大教室を開始して5年を経て、今年の10月にその活動を一旦終了した。今までの教室のテーマは、自然誌系から文化誌系、海洋資源からまちづくりまで多岐に渡った。ここで紹介された先端研究が、大槌の地域資源の再発見や創出に結びつくことを願うばかりである。この間、復興事業の進展によって新しい街の姿が少しずつ現われてきた。盛土された中心市街地が整備され、鉄道が再び敷設され、高さ14.5mの防潮堤が建ち上がる。一方で、保存問題で揺れた旧役場庁舎は惜しくも解体が決まり、貴重な湧水・自噴井の多くが姿を消した。未来の大槌の姿はまだ構築途上である。最終回の東大教室では、大槌文化ハウスの設立起案者である西野嘉章特任教授(元当館館長)にお話しをいただいた。西野教授はノルウェーの北極圏で進められている文化事業「アートスケープ」を紹介しつつ、防潮堤などを含む被災地の新たな居住環境を積極的に文化芸術活動に取り込むことを提言された。被災地では長い時間を経て、震災復興から日常回復へ、そして文化蓄積へと徐々に向かいつつある。

松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)

トロンプルイユ

 スウェーデンなど大理石資源の乏しい地域では、城や豪邸の室内壁を大理石に見せかけるように、騙し絵(トロンプルイユ)の技術を持って木版を塗装していた。さらに時代を遡ると、ファン・エイク兄弟による『ヘントの祭壇画』(『神秘の子羊』)など多翼祭壇画のパネルには、空間の奥行きを表現するために建築的要素や彫刻が騙し絵で表現されている。騙し絵は文字通り絵画の技法であり、平面を観ながら奥行きや素材感の錯覚を覚えるように工夫されている。ではトロンプルイユを絵画以外の分野に用いたらどうなるか。開催中の『石の想像界』展には、さまざまな「石」が展示されている。その「石」は銅、ポリウレタン、紙、食品用着色料などありとあらゆる素材でできてある。鑑賞者が「石」という概念を念頭にそれらと向き合うと、期待が外れる。トロンプルイユの偽石は極めて軽量であったり、極薄であったり、溶けたりすることもある。これらの作品は、石の外見を保持しつつ、石を石として認識するうえで最も重要な特徴を除外している。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

自然界のレディメイド

 小石、石、岩、露頭、岩壁。ミュージアムや画廊に行くと、規模や形状を問わず、様々な「石」が原形のまま、「作品」として展示会場に置かれている。数千年にわたる複雑な気象要因によって形作られた石は、それぞれ固有のフォルムを持つ既成の彫刻である。マルセル・デュシャンが日常的な工業製品を「レディメイド作品」として美術展に運び込んだように、石が「自然のレディメイド」としてそのまま作品に組み込まれている。天産物である石を環境と文脈から切り離すことによって、その形とテクスチュア、その影やその生成方法は新たなイメージや物語を生み出す。工業製品と違って、石には人間の想像を絶する時間性が宿る。「ファウンド・オブジェクト」としての石を作品に組み込むことによって、その作品自体が、人類を超越する次元に開かれる。しかしそのなかで、芸術家の仕事は一体とこにあるのか。石を細かく刻み込む彫刻家とは対照的に、レディメイド作家は物質の移動と組み合わせ、そして脱文脈化によって「作品」を生み出す。写真はシグルドゥール・アルニ・シグルドソン作の『隠れた世界の陰(犬)』(2018年)。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

地上13mのサバの頭

 と書いてもなんの事やらわからないと思うが、起こったことをありのままに話そう。オフィスで作業中、私のすぐ後ろの窓をかすめて黒いものが飛んだ。カラスだ! 近い! と思ったら、2メートルほど離れた窓辺にヒョイと止まった。ガラスの向こうに20センチほど、平らな場所があるからだ。カラスはそこに止まって、くわえていた物を置いた。そして、つつこうとして顔をあげ、私がじっと見ているのに気づいた。カラスは慌てて逃げ出し、オフィスの外を旋回しながら「カア、カア、カア」と未練たらしく鳴いた。こういう時、カラスは餌を捨てて逃げる。やはり命の方が大事である。それはともかく、カラスが置いて行ったのは、サバの頭であった。切り口がきれいなので、包丁で捌いたもの……居酒屋のゴミ袋からでも持ってきたのであろう。このサバの出所がわかれば、カラスの行動圏が推測できるはずだ。野外調査は大手町のガード下から始めてみよう。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

出版計画再構築中(9)

 いずれは出版にこぎ着けたい、そう考えていた本の一つがキリスト教図像学に関するものであった。専門家向けの浩瀚な書物など、もはや望むべくもない。一般の人がキリスト教美術について理解を深められるようなコンパクト版で充分なのである。実のところ、キリスト教美術に特化された概説書が、国内では見当たらない。ましてやデジタル媒体全盛期の今日である。人文学としての美術史学に対する関心は、ゆるやかな下降曲線を辿りつつある。その上、キリスト教美術である。興味がない、と言われればそれまでなのかもしれない。しかし、キリスト教美術は、神学という巨大な「知」の体系を背景にもっている。ために、その図像学もまた、繙きがいがあって飽きない。理解が及べば、及ぶほど面白い。この実感を読者と分かち合える本を書き上げたい。弘前大学へ奉職して以来の宿願なのである。

西野嘉章(インターメディアテク館長・東京大学総合研究博物館特任教授)

石のインデックス

 長さ5センチ、幅3センチのガラス板が800枚も並ぶインスタレーション『石のインデックス』。写真スライドにも見える、多様な模様が鮮やかに映るこれらのガラス板は、実は石である。1959年頃から1970年頃まで岩手県野田玉川鉱山、群馬県花輪鉱山、愛知県田口鉱山など国内各地で採集され、偏光顕微鏡で観察するために0.03ミリ程度の厚さに研磨した石の薄片から、石の知られざる「内面」がうかがえる。しかし、現代美術の文脈で展示されると、これら鉱物学標本は、インスタレーション作品となる。各プレパラートには、地図あるいは航空写真あるいは小宇宙のように、謎の「風景」が現れる。鉱物の同定や構造解析に役立った標本が、美的な視線の対象となった途端、詩的な表現のインスピレーション、抽象的な視覚表現の見本に見えてくる。文字通りの「石の想像界」である。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

アートとアーティファクト

 特別展示『石の想像界』の会場には、三つの「石器」が並んでいる。ひとつは、縄文時代前期のものと思われる、埼玉県ふじみ野市川崎遺跡で発掘された、正真正銘の磨製石斧である。もうひとつは、木製の手のマネキンに樹脂製の石器レプリカがはまっている彫刻、マチュー・メルシエの新作『アカデミア』である。三つ目は、人の右手が磨製石を延々と回している、ループ映像作品。ガブリエル・オロスコの有名なビデオ『丸石と手』である。だれもが片手にスマートホンを握っている時代に、石器を握るという原始的な仕草に改めて注目する作品が多く見受けられる。しかしこれらの作家は、いったいどのような「石」をもとにこの作品を考えたのか。「アート」と「アーティファクト」が混在する展示会場では、人類にとっての石の機能が問われるだけではなく、普段ホワイトキューブで発表される現代美術作品が人類学的なテーマを取り上げるうえで、どのような空間、展示方法、文化的文脈を前提とするのか、改めて考える機会となる。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

「山越」のウシ解剖模型

 IMTの2階に、ウシ解剖模型がある。紙製のそれはホルスタイン牛を象った縮小模型であり、背中を開くと、取り外し可能な臓器の模型が収められている。左半身の筋肉はむき出しで、教室にある人体模型を思い起こさせる。ラベルには「合資会社山越教育標本器械製作所製作」の文字。詳しい情報はほとんどないが、同じくIMTの2階にあるキノコ模型を製作した「山越工作所」と似た名前であるのが気になった。「合資会社山越教育標本器械製作所」の名前は、昭和14(1939)年の『帝国銀行会社要録』に初めて記載が認められるが、翌年に姿を消している。本模型の作成された年代は昭和14(1939)年頃と見て間違いないであろう。『帝国銀行会社要録』では、その前年の昭和13(1938)年から、『日本全国銀行会社録』では、昭和14(1939)年から、「山越工作所」の改組で誕生した「株式会社山越製作所」の記載が始まっている。2つの記録を見ると、合資会社は「滝野川区田端新町二ノ二九」、株式会社は「下谷区御徒町三ノ一」と、異なる住所が記されている。しかし、「山越工作所」の目録では、同営業所の住所が「東京市下谷区御徒町三丁目」、同工場の住所が「東京市滝野川区田端新町二丁目」となっていることから、両者が同一組織である可能性は高い。

秋篠宮眞子(東京大学総合研究博物館特任研究員)

比喩としての石切場

 地球上に鉱物的世界が存在するとしたら、洞窟がそのイメージに最も近い。ラスコーやショーヴェ洞窟の壁画は原始絵画の傑作として賞賛されるが、同様に、洞窟そのものも、人類の最初の住居そして原始彫刻の傑作として見なすことができる。植物のない洞窟は、岩の多い不毛の地と同じように、人類の原風景を想起させる。石の想像界の根底には、独自の時間性を有する地殻、有機的な生命界から独立した物質のイメージがある。この物体には特定の形がないため、人間が無形の物質に対して感じる恐怖の対象にもなる。豊かな土壌に育つ植物界と有機物は常に、その底に広がる無機の露頭に飲み込まれ、無形の状態に戻る恐れがあるからである。ヒトが石に施す基本的な行為は、まず石を石として無形の地殻から切り離すことである。その瞬間に、石切場が生まれる。露頭や岩から破片が切り出され、意図的なフォルムを与えられた途端、石が誕生し、有益な材料として人間の活動域に組み込まれる。その意味では、石切場はヒトによるあらゆる創造活動を連想させる。ヒトが無形の物質を有形のものに加工する基本的活動であり、抵抗する物質を材料に変えるプロセスである。とはいえ、地殻から切り出された石はその後も、本来の特徴を続けて持ち合わせる。地質的世界の名残として、石は人間の意図に抵抗し、人間の活動域に置かれても反応しない。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

インターメディアデザイン その三

 同じことを言っているようにも思うが、あえて言い換えるなら、大方の博物館はすでに体系化されたモノを「見る・知る・学ぶ」をテーマに視覚的に再構築されたもので、社会あるいは来館者にとっての知的好奇心を、もっとも正当な方法論で応える場となっている。それは人間社会における「秩序」でありながらも、人間であるからこそ避けられない結論でもあろう。しかし、その秩序のなかでは「発見」は難しい。なにも専門家に向けたアンチテーゼではなく、一度シャッフルしたなかでこそ垣間見える新しい価値や創造性は、インターメディアテクが多くの人々に刺激を与える所以ともなっている。「見たことがあるようで見たことがない」そのことが人々を感慨に導く重要な要因であり、それは、唯一無二というよりも現代版温故知新というべきかもしれない。

関岡裕之(東京大学総合研究博物館特任准教授)

展示とインテリアのはざま

 展示空間と建築インテリアとは同じ空間でありながら性格や表情に違いがある。展示空間は資料や標本の観覧が目的であるため、主役は展示物であり、建築インテリアとはそもそも訴求ポイントが違う。当館本館では現在「珠玉の昆虫標本」というタイトルの展覧会を開催中である。本展では壁という壁の全てを標本箱に入った昆虫標本で埋め尽くしている。デザインとしては、まぎれもなく生き物である昆虫が壁になって空間を構成するとすればどのような空間になるのかを極限にまで近づける実験だ。面白いことに近づいて見ると一つひとつは当然のことながら凝視に足るリアルな標本であるが、空間としては迫力あるインテリアにも感じられる。考えるに、びっしりと並んだ美しい標本の集合がある種壁紙のようであり、そこに一様に施されている標本箱のガラスカバーが均一化された内装素材の役を果たしているように感じられるのである。本展はまさしく展示とインテリアのはざまのようである。撮影:フォワード・ストローク

洪恒夫(東京大学総合研究博物館特任教授)

石の想像界

 特別展示『石の想像界――アートとアーティファクトのはざまへ』がオープニングを迎えた。インターメディアテクの新しい試みとして、学術標本と現代美術作品とを組み合わせた実験展示である。美術史においてこれまでただの「材料」として扱われてきた石がなぜ、多くの現代美術作品の主題となり、またほぼ未加工の状態で作品に組み込まれるようになったのか。石の材質、かたちや模様に想像力が喚起された作家の作品を展示するだけではなく、人間の想像力を絶する、極めて長い時間性を有する「石」が人間の活動域に導入されていく過程を検証する展示である。この企画のひとつのアイコンとなるのが、前近代的な「驚異の部屋」の定番であった「廃墟大理石」(パエジナストーン)である。ロジェ・カイヨワの名著『石が書く』(1970年)をもって、パエジナストーンは石の美的鑑賞の中心的存在となる。自然の力で不随意的に生成される大理石の複雑な面に人間は必ず風景あるいは具象的なイメージを投影する。この想像力的原理が20世紀半ばの詩的表現に著しい影響を与えた。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

出版計画再構築中(8)

 だいぶ昔のことになる。編集者に企画書を届けて、結局、「ボツ」にされてしまった出版計画があった。築地小劇場の舞台写真集である。「築地」では、大正末期から昭和初頭にかけて、新興芸術が勃興した。小山内薫が興し、土方与志の率いた「ハイカラ」文化の拠点の一つであったのである。幸いにして、小山内をはじめ、築地関係者の残した資料体が手許に揃っている。1千点とは言わないが、5百点を超える写真で、ほぼすべての演目をカバーした資料集の刊行を目指し、デジタル化を進めていたのである。舞台芸術は一過性のものであり、役者の姿や美術の外観は写真にしか記録されていない。加えて、築地の全盛期は新興写真の勃興期でもあった。そのため、写真芸術における「モダニズム」の生成を探るフィールドにもなる。今日のデジタル画像処理技術が力を発揮するのは、このような出版企画ではないか。ただ図版を掲げるだけでは駄目である。画質で妥協することのない、美麗な出版物を産み落としてみたい。

西野嘉章(インターメディアテク館長・東京大学総合研究博物館特任教授)

ファサード

 旧東京中央郵便局のファサードのデザインは、簡明かつ精緻である。東京駅前に建つ中央郵便局としての安定感を確保しつつ、古典的意匠に依存しない清新な現代性を実現している。逓信省営繕課の吉田鉄郎による外観設計の特徴は、以下の三点に認めることができる。まず「垂直と水平の均衡」である。柱梁の構成において、垂直をわずかに優先して神殿のような柱型のパターンを出し、一方で上部を走る胴蛇腹や1階の肉厚壁によって水平の連続性も表現している。次に「部分の対称性の導入」である。北側の立面に配された大時計と中央玄関のように、建物の立面ごとに対称性を考慮したまとまりを与え、全体が単調な繰り返しになるのを回避している。最後に「建物の階高の漸減」である。断面図に示す通り、下階から上階に向けて階高を徐々に減らして立面を落ちつかせており、これは現業室・事務室・吏員室という機能配置に応じた合理的な対応でもある。入念な設計は細部にも及び、外壁面は二丁掛タイルと役物の割付によって埋めつくされる。吉田鉄郎のファサードのデザインは、ヨーロッパのモダニズムの理念と構法に由来するものだが、同時にそれは、日本的伝統の中で培われた構成と抽象の美を継承するものである。ブルーノ・タウトの絶賛の核心もそこにあるだろう。

松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)

北欧カラス事情

 先日訪れたスウェーデンで見かけたカラスは3種。日本のハシボソガラスに近縁だが白黒模様のズキンガラス、日本でも冬になると大陸から渡来するミヤマガラス、そして向こうの街なかで目に付くのがニシコクマルガラスだ。ニシコクマルガラスは最新の分類ではカラス属(Corvus属)ではなくColoeus属とされているが、概ねカラスと思って間違いない。東京によくいるハシブトガラスと違い、ハトくらいの大きさなので、威圧感はない。色も真っ黒ではない。集団生活しており、公園や街の広場によく群れている。そして、人が座って何か食べ始めると、目ざとく見つけて意味ありげに近寄ってくる。ニシコクマルガラスは虹彩が白銀色なので、瞳が非常に目立つ。これは集団内でのアイコンタクトを容易にし、ある個体が見ている対象を回りに伝えているのではないかと示唆されている。そのせいか、彼らが隣のテーブルに止まってこちらの一挙手一投足をじっと見ていると、妙に落ち着かないのである。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

出版計画再構築中(7)

 出版社に原稿を届けてあって、いまだ刊行するに至らぬままになっている本もある。表題を『遊覧的彷徨——東西文献ミュージアム』とすることにした。2012年に出版した拙著『浮遊的前衛』の姉妹編とすべく、書籍、文献、出版について、これまでに書き溜めてきた原稿を全面改稿したものである。多くの人の感じるところであろうが、パソコンを使うようになって作文量が飛躍的に増えた。結果、A5判3百20頁の前拙著をさらに上回るものになりそうである。とはいえ、造本意匠で「姉妹編」であることは判るようにしたい。前拙著は「朱夏(赤)」でくるんだ。今度の本は、眼にも鮮やかな「青春(緑)」を基調色にしたい。もし後続があるようなら、「白秋(黄)」として、最後は「玄冬(黒)」で止めにする。谷崎潤一郎は創作にあたって五色の原稿用紙を用意していたと言われるが、文豪のダンディズムに倣う出版計画を実現したい。

西野嘉章(インターメディアテク館長、東京大学総合研究博物館特任教授)

二重らせん

 遺伝子の本体をなすDNAは「二重らせん」の構造をもつ。らせん状の2本のヌクレオチド鎖が相補的結合をなし、片方の鎖を鋳型として新たな2本鎖を複製する。遺伝情報の継承と発現をにない、生命の連続性をもたらす根本の仕組みである。一方で二重らせんは、事例は少ないものの、人工物の構成原理にも採用されてきた。イタリアのサンパトリツィオの井戸では地下に降りる二重らせんの通路を設け、フランスのシャンボール城では城館中央に二重らせんの大階段を置く。これらの二重らせんは、上下の動線を交えることなく分離し、全体行程を連続した一つのシークエンスに仕立てている。その類例の中でも出色なのは、福島県にある旧正宗寺三匝堂(通称さざえ堂)であろう。六角形平面の塔状建物の内部には、二重らせんの斜路が組み込まれている。建物に入って右回りの斜路を上がり、頂上から左回りの斜路を降りて元に戻る。順路に沿って三十三観音が祀られており、上がって降りるだけで西国巡礼をしたことになる。すなわちここで二重らせんは、世界の縮図を表現する基本構造なのである。写真の模型は、教養学部前期課程の授業「空間デザイン実習」における学生の作品「KOMOREBI書房」(大島一武輝)である。さざえ堂の二重らせんにインスパイアされ、有機的な外壁と木漏れ日の光に特徴をもつ。

松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)

Province

 IMTに展示されているが、しばらく「由来不明」となっていたオオカミの頭骨がある。正確に言えば、「理解不能」だったのであるが。Canis lupusと書いてあるから、オオカミと考えていい。額段や口蓋を見てもオオカミのようだ。だが、理解しがたいのは、「Central Province」と読める走り書きがあることだ。中央プロヴァンス? フランスの? あんなところにオオカミが? もちろん、古い時代にはいた。15世紀にはパリ市内にまで侵入した「狼王」クルトーというのもいたくらいだ。だが、そんな古いものには見えない。しかもラベルの一部にキリル文字が印刷されている。なぜフランスでキリル文字? 待て。Provinceには英語で「地方」という意味もあるではないか。ならば「中央地方」という意味にすぎないかもしれない。調べた結果、モンゴルのトゥブ県は「Central Province」とも呼ばれていることがわかった。それ以外の情報を突き合わせても矛盾がない。これは、モンゴル産のオオカミの頭骨だったのである。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

自分が面白いと思うことを人に伝える

 大学生ボランティアが担う「アカデミック・アドベンチャー」という小中学生向けの展示案内プログラムでは、普段の準備や練習の時から、解説や説明という言葉を敢えて使わないようにしている。というのも、展示物に関する知識を伝達することが主目的ではなく、双方向的なコミュニケーションを通じて、子どもたちが展示物を自分の目で見て、それについて自分の頭で考える体験をするための手助けを行うことを重視しているからである。それを実現するためにどのようなアドベンチャーを作るのか、取り上げる展示物を決めるのも、リサーチを行いながら内容を組み立てるのも、大学生自身である。毎週、ボランティア活動日に集まる学生たちの試行錯誤に立ち会う立場にある私の目から見て、詰まるところ一番大切なのは、学生自身が「面白い」と思った最初の気持ちを子どもたちが追体験できるアドベンチャーになっているかどうかという点であるように思う。ひらめきや情熱といった感覚的なものを含めて、自分が面白いと思うことを「人に伝える」のがいかに難しいことか。学生たちの日々の努力に接し、私自身はそれができているかと研究に取り組む自分の姿勢を時折振り返る。

寺田鮎美(東京大学総合研究博物館特任准教授)

藪の中

 普段は博物館勤務だが、鳥類の野外調査も行っている。本来はそっちが本職といってもいい。やはり野外調査がないと精神が乾涸びる。研究テーマはカラスの生活史であるが、近年、山の中でハシブトガラスを探していることが多い。丸の内にも普通にいるカラスだが、本来の生息地は森林だからである。森林のハシブトガラスはシャイで用心深い。生息環境を調べるために巣を探そうとすると、とんでもなく大変であった。カラスの行動を観察し、音声をプレイバックし、定点観察し、ICレコーダーで録音した音声から探索範囲を狭め……、それでも最後はカラスが巣に戻るのを実際に見て確かめるしかない。迷彩服を着てコソコソと林内に入ると、下生えの中に這い込み、偽装ネットを被って、息を潜めてカラスを待つ。それでも、枝に止まったカラスがじっとこちらを見て大声で鳴き始めたら、見破られているのである。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

ザルツブルクに行ってきました

 平素よりご来館いただきまことにありがとうございます。今年2月にザルツブルクで行われた『THE 11TH OPEN EUROPEAN TAXIDERMY CHAMPIONSHIPS® 2018』に交連骨格を出品し、同時に催されるセミナーを受けに英語ができないのに一人で行ってきました。これまで一冊の本を頼りに試行錯誤しながら一人でやっては来たが、はたして剥製や交連骨格の製作技術が発達している場所でも通用するのか? それを確かめるために、実際に審査員や他の出品者に評価をしてもらうのと、セミナーに参加して考え方や技術などを学ぶのが目的です。出品作品が並ぶ展示会場は、一般公開される前夜に参加者のみが内覧できる時間帯があり、出品者はそこで自身の作品の審査結果を知ります。開場とともに歓声を上げながら入場する参加者は自身の審査結果を確認し、お互いほめたり慰めたりします。幸い私が出品した作品は、交連骨格部門の専門家クラスで優秀賞をいただくことができました。会場では技術や表現について活発に議論し、気になる作品を観察する様子が見られましたが、これこそが技術が発展していく理由なのだと感じました。日本でもここ数年で実際に作られる方も増え裾野は広がったように感じます、そこから高みや深みを目指す人が多く現れるのを願ってやみません。ところで初めの海外、めちゃくちゃきつかったです。あと、食事がみんなしょっぱい!!

中坪啓人(東京大学総合研究博物館特任研究員)

出版計画再構築中(6)

 傲慢と言えばそうかもしれない。書けるのは自分しかいない、否、そのように信じたい、と思う内容の本が、「インターメディアテク」構想とそれが実現に至った経緯を記録として綴ったものである。われわれが丸の内に開設した文化施設は、なにゆえ「ミュージアムを標榜しないミュージアム」であり、「インターメディアテク」を自称することになったのか。この根底にある考えは、やはり文字のかたちで書き残しておくにしくはない。「ミュージアム」の呼び名で市民社会のなかに定着してきた社会教育施設に、収蔵、調査、研究、展示、発信の機能充足を果たさせるだけでなく、独自の芸術的創造の苗床を定位させることはできないか。モノの保管場所は、いつの時代にあっても、イデア創発の触媒に満ち溢れている。ポスト「オリパラ2020」をどうするのか、それが問われている今こそ、そのことを改めて問うてみたいのである。

西野嘉章(インターメディアテク館長、東京大学総合研究博物館特任教授)

AIからIへ

 小石川分館の建築博物教室で、高村大也先生※に『ことばのアーキテクチャ −−人工知能による言語の理解』という講演をしていただいた(→概要レポート)。高村先生は自然言語処理と人工知能の先端的な研究者である。この講演を通して人工知能研究について多くを学び、また自分なりに考えるきっかけを得た。そのポイントは三つある。第一に、人工知能の目的は人間の知性の置き換えか、あるいは人間の知性の支援・強化なのか。人知の置換と考えれば社会全体への脅威にもなるが、ボトムアップ的な視点から見れば個々の生き方が開かれる可能性を感じる。第二に、人工知能との対話における受容(解析・認識)から創出(推論・生成)への展開。この後段のプロセスは特に興味深く、デザインや創作ができ、仮説形成や価値創造に結びつく人工知能に期待したい。第三に、人工知能の中枢をなす機械学習の方法論の逆活用。ディープラーニングの多層的な方法論を人間の日常行為にリモデル化して導入し、知の外部化に逆行する「知の再内部化」ができるのではないか。時間とともにAIのAが徐々に消えて、新たなIが立ち上がるかもしれない。講演に合わせて作られたアーキテクトニカ・コレクションは「語彙のネットワーク」の3次元モデルである。(※ 東京工業大学教授、産業技術総合研究所人工知能研究センター研究チーム長)

松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)

水中を飛ぶ

 IMTの2階に、二足歩行する動物の骨が集まっている。この中に、マジェランペンギンの骨格もある。ただでさえ奇妙なペンギンだが、骨格にするともっと奇妙だ。まず、こんなに体幹が直立した鳥はいない。大腿骨は脊椎と直角、地面とほぼ水平に伸びる。そして膝を直角に曲げ、ふしょ節(鳥のくるぶしから指の付け根までを構成する骨)と指骨をべったりと地面につけて立っている。ペンギンは立っている間じゅう、空気椅子状態なのである。さらに、飛びもしないくせに妙に頑丈で長い胸骨、発達した竜骨突起も目に付く。そして何より、恐ろしく丈夫そうな烏口骨、そして太い腕の骨格。ペンギンの翼(正しくはフラッパー)は大変な力を持っていて、コウテイペンギンに思いきり殴られれば骨折しかねない。これらは全て、抵抗の大きな水中を飛ぶように泳ぎ、かつ氷の上を延々と歩くためだ。あのコミカルな見かけの下で、ペンギンだって苦労しているのである。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

出版計画再構築中(5)

 欧米の古書店から送られてくるカタログは、好個の読み物の一つである。内容は、もちろん古書店の専門に拠って様々であるが、あるときから「本に関する本」という下位分類項目の存在を意識するようになった。これをもって「書誌学」的な視点、などと大げさなことを言うつもりもない。しかし、本を好きな人は本を書く、あるいは本について書くのも好きである、という単純な事実の発見は、自分にとって案外意味深いものであった。いまにしてそのように思う。結果的に、本好きが高じて、本についての原稿をいくつも書くことになったばかりか、本についての講演会もあちこちで開くことになったわけである。これらのテキストや資料は、他者の本に関するものと自分の本に関するものに大別できる。ということで、前者は『拙稿集』、後者は『拙著考』の表題で出版したいと考えている。それがいつの日のことになるか、先の見通しの立たぬ日々が、当分のあいだ続きそうである。

西野嘉章(インターメディアテク館長、東京大学総合研究博物館特任教授)

録音再生の起源

 人間の声を封じ込め、それを異なる時空間で再生しようとする願望が技術的に実現したのは19世紀後半のことである。エドゥアール=レオン・スコット・ド・マルタンヴィルが1857年3月25日に録音機「フォノトグラフ」の特許を取得し、シャルル・クロが1877年4月30日に録音再生機「パレオフォーン」の設計を科学アカデミーに提出するなど、録音技術の黎明はフランスにあった。しかしこの発明を実用的な技術に結びつけたのが、1877年12月24日に米国で「フォノグラフ」の特許を申請したトーマス・エジソン(1847-1931)である。フォノグラフの原型は真鍮の輪胴に溝の切られた錫箔を巻きつけ、二つの雲母製の振動板によって録音と再生をそれぞれ行う装置であった。1878年4月24日に設立されたエジソン・フォノグラフ社はレコード産業の道を切り開いた。シリンダー・レコードを中心に音質を追求したエジソンは縦振動型の録音再生に拘ったが、主流はエミール・ベルリナーが発明した横振動型のディスク・レコードとなり、エジソン社が蓄音機製造から撤退した1929年にはディスクを中心とした市場が確立していた。インターメディアテク3階に展示しているエジソン蓄音機コレクションからは、エジソンが19世紀末から改良を重ねて追求した「音のデザイン」の系譜がうかがえる。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

日本画の鳥たち II

 「鳥類写生図」(河辺華挙 編纂)のうちの一巻には、小鳥たちの動きを捉えるためのスケッチが集められている。ここに描かれた鳥は(想像で描いたのでなければ)全て生きた状態で観察されたはずだ。驚くべき事に、江戸末期から明治中期に描かれたにも関わらず、カナリア、サトウチョウ、ホンセイインコなど、外国産の飼い鳥も描かれている。どれほど貴重で高価であったことだろう。一つ、特に気になる鳥がある。体は黒く、頭は真っ白で、嘴と脚が赤い。画材が限られているので完全に天然色ではないかもしれないが、こんな色合いの鳥は日本にはいない。コムクドリかとも思ったが、どうも描きぶりが違う。これはシロガシラツグミの台湾亜種ではないか。この鳥は東南アジアの島嶼に住み、台湾亜種は頭が真っ白で特に美しい。今や希少になってしまったこの鳥も、はるか昔、日本まで運ばれて来て、絵師の家の縁側の鳥籠の中にいたのだろうか。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

痛風

 北海道出張中に、右足の親指に激痛が走り、骨折かと思って医者に飛び込んだ。痛風の発作であった。長年の豊満な食習慣のために尿酸が身体中にたまり、それが一部瓦解することによって発作が起きる。この発作と同時に、私の体の中で、免疫機構の一斉蜂起が起きたのだろう。いままで経験しなかったような体調の変化が始まった。あるときは、体の中をナメクジのような生物がにょろにょろと這いずり回り、あるときは、ピキピキ体のあちこちがしびれる。ナメクジとピキピキがお互い忍び寄り同期し、勢い高調に達すると、二度目の発作。その話を京都の医者にしたところ「どうもあんたの言っていることは痛風ではないみたいだ」という。北海道の医者の結果をもう一度、ちゃんと調べようということで、血液検査をしたが、北海道の医者の言う通り痛風という結果になった。ピキピキを音楽に例えるならば、「くるみ割り人形」『金平糖の踊り』だ。チェレスタの旋律は一見平和だが、直後に不穏なファゴットの下降音階が続く。一方、ナメクジと発作のムーヴメントは「展覧会の絵」『バーバヤガの小屋』と、家内はこれを聞いていて、「ああ、いずれもロシアものだね」と言う。この話を東京の医者にしたところ「どうもあんたの言っていることは痛風ではないみたいだ」という。京都の医者の結果をもう一度、ちゃんと調べようということで、血液検査をしたが、京都の医者の言う通り痛風という結果になった。それからおおよそ半年、治療も生活習慣改善も甲斐あって、かなりよくなってきた。いまではときどき、ウォトカをぐびとやっている。医者の言っていることはどうもいい加減だ。

森洋久(東京大学総合研究博物館准教授)

建築の時間

 歴史的建造物の「転生」がよく見られるようになった。当初の役割を終えた建築が、その空間特性を維持しつつ、以前とは異なる機能をもった施設に生まれ変わる。2000年に開館したロンドンのテート・モダンは、旧バンクサイド発電所を改修してつくられた近現代美術館である。スイスの建築家ユニット、ヘルツォーク&ド・ムーロンは、大胆かつ抑制されたデザインによってこの設計コンペを制した。旧発電所のタービン・ホールを巨大な吹抜として残し、現代美術のインスタレーションの場として活用している。建築の転生の身近な事例を探せば、インターメディアテクは旧東京中央郵便局のオフィスを、当館小石川分館は旧東京医学校の校舎を出自とするミュージアムである。時間の流れの中で建築資産を柔軟に使い続けることは、持続可能な社会をめざす上で避けて通れない課題であろう。すなわち「建築の時間」のデザインが必要とされている。それは建築を静態ではなく動態のシステムとして捉えることにつながる。時間推移は単調で予定調和的なものとは限らず、予測不能で突発的な変化も起きる。建築の空間継承は保存と創造の営為である。

松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)

出版計画再構築中(4)

 一九八〇年代初めのことだったと思う。『ヤヌス學大全』というタイトルの本を出したいと一念発起し、古代から現代に至るまでの「ヤヌス現象」について書き連ねることを始めた。いくつかの雑誌にそのテーマで連載をおこなったことで、原稿の蓄積が進みはしたものの、様々な要因が重なって、いつの間にか書き続けることを止めてしまった。ということで、この本もまた中途半端なままになっている。原稿を整理するなかで、「大全(スンマ)」という言葉が気になり出した。トマス・アクイナスの『神学大全』がそうであるように、「大全」を名乗るなら、それが何についてのものであるにせよ、全体を包摂してみせるとの意識を堅持しつつ、事を進めねばならないはずである。ならば、自分の考える本ではどうか。古代から現代まで、というのはあまりにも大風呂敷な課題設定で、とうてい「大全」を名乗る資格などない、ということになる。その意味での反省はある。しかし、タイトルだけはえらく気に入っているのである。
                                                                         西野嘉章(インターメディアテク館長、東京大学総合研究博物館特任教授)

ミュージアムとジェンダー

 ウプサラ博物学三代、ルドベック、リンネ、ツュンベルクの活躍した時代の学術界は男性中心であった。その中にあって、今回の特別展示出品物の作者名に見える唯一の女性が画家アンナ・マリーア・テロット(1683-1710)である。父親に手ほどきを受け、兄弟とともに様々な出版物や美術の仕事に携わったが、女性である彼女には自分の才と技により独立した美術家となる環境は与えられなかった。『「花と果実」スケッチブック』が展示に組み込まれていることは、この事実に思いを至らせ、当時の男性中心社会を生きた女性の存在を無視していない点において、意義をもつ。インターメディアテクに展示している帝大時代の学術遺産もまた、いかに「マッチョ」な世界にあったかという事実は、例えば館内の肖像画や肖像彫刻がすべて男性像であることからわかる。歴史的事実を変えることはできないが、現代的な問題意識をもってそれを眺める観点はミュージアムが新たに創出し得る。東京大学の歴史を伝える資料体をいまここで公開し、未来に残していく意味を問うために、ジェンダーの問題をどう扱うのか。考えるだけではなく、行動に移していかねばならない。

寺田鮎美(東京大学総合研究博物館特任准教授)

建築模型の復元模型

 昨年秋に「雲の伯爵——富士山と向き合う阿部正直」展の設営のためウプサラ大学博物館「グスタヴィアヌム」へ訪れる機会があった。当時、私はロンドンに滞在していたため、スウェーデンへは飛行機にて2時間程のフライトである。時差の影響もさほど受けず、日本からのメンバーと合流するまでに数時間あったことから、空港からウプサラへ向かう前にストックホルム市内の美術館を訪れた。ストックホルム近代美術館には多くの20世紀前衛作家の作品が並んでいる。中でも「第3インターナショナル記念塔」の建築模型を復元したレプリカは想像以上に大きく、加えて複雑な構造からは100年以上前に構想されたものとは思えない新鮮な印象を受ける。ウラジミール・タトリンによって構想されたこの記念塔が実際に建築されることは無かったが、模型を復元することによって、当時の構想の壮大さを現代に伝えている。このような前衛的な作品を肌に感じつつ、今後の新しい芸術の潮流が北欧の地から生まれる予感さえも感じた。(写真はストックホルム近代美術館)

菊池敏正(東京大学総合研究博物館特任助教)

博物学の等角図

 開催中の特別展示は、リンネを中心にスウェーデンのウプサラで生まれ、近代博物学の王道を築いた学術資料を直に観る絶好の機会である。リンネの弟子ツュンベルクが1775-1776年の日本滞在から母国へ持ち帰った工芸品など10点あまりの小物も、「里帰り品」として展示されている。ツュンベルクが帰国後に著した『ヨーロッパ、アフリカ、アジア紀行』(1770-1779年)の図版で詳細に描かれ、ジャポニズムに先がけて欧州に「日本趣味」を普及させるうえで重要な役割を担った民族学標本である。ツュンベルクに代表される西洋の学者を通じて近代西洋博物学が日本に導入され、従来の本草学の学術的枠組みを抜本的に革新したことは周知の通りである。一方、彼らが母国に持ち帰った日本の工芸品や絵には、19世紀ヨーロッパの美的感覚を一新させる造形美とそれを支える独自の美術的手法が凝縮されていた。特に、本草学の和本に収められている水彩画や木版を観ると、遠近法を用いない、平たい空間表現が特徴的である。等角図に基づくこの大胆な空間表現は、標本描写に新たな可能性を与えただけではなく、空間認識そのものを変えるものであった。そういう意味で、本草学資料の国際的な再評価の時期が来たともいえよう。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

紙に描かれた生物たち

 4月24日から、特別展示『ルドベック・リンネ・ツュンベルク――ウプサラ博物学三代の遺産より』が始まった。スウェーデンの誇る自然史学者、ルドベック、リンネ、ツュンベルクにまつわる貴重な資料を展示しており、それらスウェーデンより来た資料に加えて、東京大学所蔵の資料も関連展示として公開している。全体を見て感じるのは、生物が生きている時の姿をうつしとった図譜や図版の存在感の大きさである。写実性という点でいうと、スウェーデンのオロフ・ルドベック(子)が1693年頃から1710年にかけて出版した『鳥類図鑑』の図版は、今回剥製と並べて展示しているため、よりその精密さが際立っている。特に色彩の再現力や細やかな羽の表現には目を見張るばかりである。色彩といえば、明治10年頃に描かれた『梅園魚譜』(元は毛利元寿によって江戸後期に描かれたもの)も素晴らしい。魚のきらめきを表現するために、雲母や金粉と思しき画材を用いて描かれている。展示ケースの上からだけではなく横から見てみると、魚が照明を反射して更に生き生きとして見えるのである。描き手たちの工夫に思いを馳せながら眺めていると、あっという間に時間が経っていることに気がつくに違いない。

秋篠宮眞子(東京大学総合研究博物館特任研究員)

頭文字L

 ウプサラ大学博物館裏の公園で鳥を見ていたら、ひとりの老人がやって来て、同じベンチに座り、ワインを煽りながら私に話しかけてきた。残念なことにスウェーデン語なので一言もわからない。すると老人は英語に切り替え、「バードウォッチングか」と尋ねた。双眼鏡の話をしたり、手笛の吹き方を教わったりしていると、目の前のゴミ箱に1羽のカササギが舞い降りた。驚いたのはその時だ。老人がカササギを指差して、「ピカ・ピカだ。知っているか」とサラリと言ったのである。Pica picaはカササギの学名。スウェーデン語ではSkataというので全く違う。この老人は別に鳥類学者というわけではなく、せいぜいちょっとしたバードウォッチャー程度のようなのに。だが、考えてみたらカササギの学名を命名者まで書けばPica pica L. 1758だ。命名者は「L.」、イニシャルだけで済ませてよい唯一の人物、リンネその人である。さすがウプサラはリンネのお膝元と言うよりなかった。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

日本画の鳥たち I

 日本画に描かれる鳥は、お世辞にもリアルではないことがある。だが、それは必ずしも、画家の観察眼そのものの限界を示してはいない。絵とは「その時代とその技法のお約束」でしか描かれないものなのだ。近代科学発祥の地であるヨーロッパとて、18世紀の博物画を見てみれば、そこにとんでもないデフォルメを見て取ることができようし、年代を追ってデフォルメが変化してゆくのも追うことができる。河辺華挙の編纂した「鳥類写生図」を見ると、絵師が研鑽を積むための、完成された絵の背後に隠された観察眼というものがよくわかる。そこには明らかに死骸とわかる、ダラリと横たわった鳥が描かれ、色合いやサイズ、羽毛の枚数までが記入されているのである。種名も書き込まれているが、それを読まずとも、絵だけで十分に同定できる精度である。こういった精緻なデッサンを理解した上で、型式通りの日本画の構図に落とし込んだのであろう。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

“時”と協働するデザイン

 エイジングされたもの、つまり自然に経年変化したものは、時間の経過でしか現わせない趣きや力がある。“インターメディアテク”も80余年が経過した昭和初期の建築と、古くは明治の初めに作られた標本、そして学内等で使用されていた家具や什器など、エイジングされたものによるハーモニーが魅力を生み出し、訴求効果を高める要因となっている。新造の施設はゼロから施すデザインが空間の表情をつくるが、リノベーションは新築では決して出せない魅力の創出が可能である。それはデザイナーの感性と“時”がすり合って生まれるデザインといえよう。小学校の廃校をミュージアムに改装した長野市の戸隠地質化石博物館、高校の廃校を活用した静岡県のふじのくに地球環境史ミュージアムなど、学校建築のリノベーションは初めから学び舎の記憶を持った建築がミュージアムに更なる雰囲気を与える。時間が経過したものとの協働は“時”がデザインの一翼を担うのである。(写真は戸隠地質化石博物館)

洪恒夫 (東京大学総合研究博物館特任教授)

スフィンクスの謎

 もう、いまではそう珍しいことでもないが、ホンダのアシモくんが初めて二足歩行ロボットとして登場した時は驚いた。アシモくんの開発チームのメンバーは、開発にあたって、このような人間の似姿を製作しても宜しいだろうかと、ローマ法皇にお伺いを立てたそうだ。「はじめ四本足、次に二本足になって最後に三本足になる動物はなにか」というスフィンクスの謎かけがまさにそうであるように、「歩く」ということは人生を表している。そして、「歩く」ことと対になるのが「知恵」である。ホモサピエンスは、アフリカで二足歩行をはじめたことによって「知恵」を得た。「歩く」ことが人生を表している一方で、歴史的に見て「知恵」が超越者を表すことはそう珍しくない。代表的なものに、古代エジプトの思想や、ユダヤのメシア思想などがある。「知恵」の似姿としての人工知能はいま、ゲームの世界では超越者となりつつある。医療の世界では難しいガンの早期発見をやってのけたりする。ゲームや画像認識の世界にとどまらず、これから、社会全般にありがたい超越者として、人工知能が広がってくるのであろうか。だが、世の中を眺めているとイカサマ人工知能も多い。つまりは霊感商法的な....。

森洋久(東京大学総合研究博物館准教授)

サウンドレイヤー

 サウンドレイヤーとは、音による現実拡張の試みを多層的に展開する革新的なコンセプトと技術である。インターメディアテクでは、株式会社THDのアイディア提案と技術協力により、ミュージアムにおけるサウンドレイヤーの可能性を探求するプロジェクトを2017年7月から始動させた。来館者が専用アプリを入れたスマートフォンを持ってインターメディアテクの各展示エリアに入ると、コンテンツ――展示空間デザインについての音声解説、展示物や空間に合わせてカスタマイズされた音楽・音響等――が自動再生される。これら複数の音がレイヤー状に積み重なり、来館者一人一人がその時に聞きたいものを自由に選択できる。このような構想を実現させるためのシステム開発とコンテンツ制作が現在進行中である。通常、ミュージアムを訪れた人は、展示物を見る、あるいはその脇に付けられたキャプションを読むといった視覚をはたらかせる行為に注力する。従来のオーディオガイドがこの視覚的行為の補助的な役割を担ってきたのに対し、サウンドレイヤーは聴覚をメインの感覚器官とすることで、人々のミュージアム体験そのものを変革する。インターメディアテクを実験場として、人々の認識世界を音で変えるプロジェクト、聴覚分野の最先端テクノロジーを用いた「音のメディア芸術」と言ってもよい。

寺田鮎美(東京大学総合研究博物館特任准教授)

横浜港鎖港談判使節団の「面貌」

 写真左は江戸時代末期の外国奉行池田長発(28歳)、右は日本初の医学博士の一人三宅秀(16歳)である。両者ともに、文久3年(1863)12月から翌年7月にかけて派遣された幕府遣欧使節団の一員で、滞在先のフランスで撮影された。通称横浜港鎖港談判使節団とよばれ、安政五箇国条約によって安政6年(1859)に開港した横浜港の再鎖港要求を目的として派遣された。当時目付兼外国奉行の池田はその正使として交渉にあたったが、結局失敗に終わった。池田は攘夷論者であったが、帰国後は開国論者に転じ、幕府からは役目不履行を理由に蟄居を命ぜられ、不遇の余生を送った。一方、三宅は組頭田辺太一の従者として随行した。滞仏中に「解剖場」や外科道具の店を訪れ、大いに見分を広めて帰国し、明治から昭和初期にかけて日本の近代医学の普及と教育発展に寄与した。同時期に撮影された写真の「面貌」から、その後の異なる命運にも思いを致すことができる。

白石愛(東京大学総合研究博物館特任助教)

インテリジェンス

 教養学部前期課程で映像制作の授業を担当している。今年度の制作課題のテーマは「インテリジェンス」とした。AIの進歩が現実化し、シンギュラリティの到来が予測される中で、私たちの知性はどうなっていくのか。人間と社会の次なるイメージを映像で表現したい。2つのグループが作品を制作した。「知外法権」(高倉・石井・中尾・新井)は、高い知性をもつ人間が国家に抹殺される近未来社会で、システムの解体に立ち向かう3人の大学生を描いた作品である。国民の知性を集約した巨大な権力システムに対する闘争の物語であり、知性の外部化と制御の問題に着眼している。もう一つの「Minds, Brains, and Manuals」(星野・中畑・増渕)は、人々の日常的な会話や行動が「マニュアル」に依存することを発見した主人公が、自分の手引書と訣別するまでを描く作品である。チューリングテストに続く有名な思考実験「中国語の部屋」を出発点として、人間の内面や意識の不可知性を扱っている。どちらの作品も、AI のバラ色の未来予測に加担するというよりは、人間の知性に対する批判的な自問自答をベースにしている。骨太の問題意識を感じさせつつも、映像としてはスリリングで没入できる作品であった。(写真は「知外法権」)

松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)

出版計画再構築中(3)

 いくつもある出版計画のなかで、最初に具体化したいと思っているのが『村上善男●頌』である。弘前大学で教員生活を送るなかで、知り合い、以後長くつき合いのあった美術家村上善男との交流を綴ったもので、書簡や原稿によって、村上の人となりや、考えを語らせたいと考えたのである。美術家が没するまで多くの手紙をやりとりした。村上の送り届けてくる手紙や郵便物は、文章のかたちで表明された精神においても、また書簡や小包のかたちに込められた造形においても、実に美しかった。だから、すべて捨てずに取っておいたのである。もちろん、それが一冊の本に纏まるだろうなどとは、つゆほども思わなかったわけであるが。村上から教わった言葉に「荷姿」というのがある。いまや、郵便小包の時代ではない。ために、紐の掛け方にも、切手の貼り方にも、美学的な判断の介入する余地などなくなってしまった。しかし、「荷姿」には送り主の人と成りが現れる。だから心せねばならないのである。

西野嘉章(インターメディアテク館長、東京大学総合研究博物館特任教授)

絵画修復

 アカデミア内の壁面に設置している肖像画(油画)の内、2点が現在修復中である。アカデミア以外でも、インターメディアテク内には複数の肖像画が展示中であり、その中には修復を終えたばかりの作品も存在する。絵画修復の専門家により、クリーニング作業が進められ、状態の悪い作品については複数回、クリーニング作業を繰り返しつつ、カンバスの補強等も行われている。作業が進むにつれて、描かれた当初と近い色彩になり、随分と違った印象に変化してくる。しかしながら、修復前のイメージを覚えている人は少なく、大きな色味の変化に気づかれることは殆どない。これは修復が違和感のないよう順調に出来ているとのことでもあるだろう。絵画作品に限らず、展示中の標本については常に劣化を続けており、時間の流れに逆らい、それらを完全に止めることは出来ない。しかし、日々のメンテナンスや定期的な修復により、劣化のスピードを可能な限り遅くすることは可能であり、今後も継続的に進めていきたいと思う。

菊池敏正(東京大学総合研究博物館特任助教)

鳥類繁殖調査

 東京都鳥類繁殖調査に参加して、丸の内界隈の鳥類の様子を調査して来た。皇居ならいざ知らず、東京駅前や銀座に鳥なんかいるのか、と思われるかもしれない。だが、鳥はどこにでもいる。確かに多くはないが、都市とは、人間が勝手に考えているほど不毛な場所ではない。大手町オアゾから新丸ビルに向けて歩き、内幸通に入ったところで、スズメを見つけた。人間が歩いているすぐそばまで来て、しきりに鳴いている。口には何かをくわえている。そして、すぐ近くで「シリリ、シリリ」という声が聞こえる。この騒がしいのは、スズメのヒナだ。どこかにスズメが巣を作っていて、親鳥が餌を持って来ている。邪魔しないよう少し離れて見ていると、スズメはイチョウの枝の折れ口に開いた洞に潜り込み、また出て来た。ここがスズメの巣だ。この日、大手町から銀座まで約2キロを歩いて見た鳥は11種、84羽だった。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

インターメディアデザイン その二

 インターメディアテクをインターメディアデザインならしめている最たるものは、空間自体の体感性にある。よく「体験型…」と耳にするが、自身の行動的充足を促しているのではなく、ここでは感性への刺激的実感と捉えている。そこには物体性と空間性の両立があり、物体性を例えるなら、宝石や生物(ここでは標本であるが)は、カタログや図鑑で見るよりも実物を見る方が感動的であるし、空間性でいえば寺院や教会に実際に訪れることまた然りである。つまり、「見る」「知る」の前に「感じる」ということ。この両立がモノと対峙するだけにとどまらない視野を与えてくれる。さらには、窓から望む東京駅舎との親和性や高層ビル群とのコントラスト、また隣接する商業空間とのギャップは実際に訪れてみなければわからない。そんな「価値観」という名の違和感は「自分」や「現在」に対する客観的な眼差しを提示してくれる。

関岡裕之(東京大学総合研究博物館特任准教授)

モバイルミュージアム・ボックス

 2015年から16年にかけ、トヨタ財団の助成を受け、フィリピンにて移動型展示キットを制作した。箱の中に展示物を搭載してどこにでも出かけていき、蓋を開ければ展示が出来上がるというコンセプトをもつ「モバイルミュージアム・ボックス」は、ミンダナオ国立大学イリガン校等のキャンパス内で公開され、学生が日常の大学生活を送る中で、意図しなくてもミュージアムに接する機会を作り出した。重要なのは、プロジェクト期間終了後の展示キットの運命である。私のような外部の人間の関与や外部予算がなくなった途端に「モバイル」しなくなるようでは、現地の人たちにとって本当に必要とされていたとは言えない。フィリピン人の共同研究者とともに、展示キットの継続的な活用をいかに可能にするかを見据え、展示内容や箱のデザインの決定といった、本プロジェクトのさまざまな進行段階で、現地の人たちを巻き込むことをプロジェクト・デザインの柱にした。幸いにして、その後も、このキットはミンダナオ島内で「モバイル」しているとの報告が届いている。

寺田鮎美(東京大学総合研究博物館特任准教授)

生きるとは、行動することではない。呼吸することである。

 「お元気ですか」「はい。元気です。」 何気ない挨拶の言葉の中に「気」がある。儒教では、元気とは天地の間にあって万物生成の根源となる精気だそうだ。「気」という語が、「大気」や「気体」、「電気」や「蒸気」といった物質的な根源を表すものとして使われる一方で、「気になる」「気をつける」「気力」「気合」など、精神的な活動の表現としても使われる。この物理的世界と精神的世界を結びつけるものが呼吸であると言える。たとえば、キリスト教においてプネウマが神とその子を結びつける聖霊として現れる。東洋だけではなく、西洋、あるいは、それより広い世界で、息、気息は流れるものであり、世界を構成する要素を結びつけ、お互いのエネルギーとエントローピーの交換する役割を担っている。特に、生命と宇宙の根源をつなげるものとなれば、霊的な存在としてしばしば認識される。「生きるとは、呼吸することではない。行動することである。」と言ったのは、偉大な思想家、ジャン・ジャック・ルソーである。彼の時代は科学や市民社会の時代であり、行動が世界を変えようとしていた。しかし、そういう言葉を言わしめた彼の人生は、数奇で運命的であり、大きな時代の流れの中で、ルソーも、思う存分呼吸をしていたのだ。

森洋久(東京大学総合研究博物館准教授)

八角形の柱

 インターメディアテクの柱型は八角形である。KITTEのアトリウムにも八角形の柱とそのモチーフが残されている。なぜ八角形なのだろうか。一つの手がかりは当館のIMTロゴマークに示唆されている。1931年に竣工した旧東京中央郵便局は、相対する東京駅の配置に呼応して外壁が「へ」字型に折れている。45°屈曲したこの外形に対して、八角形の独立柱ならば向きを変えずに整然と配列できる。かたや1914年開業の東京駅には八角形の大ドームがあり、既往の計画でも45°の配置が生かされていた。「八角形」は中央郵便局が東京駅とうまく共存するための幾何学だったのではないか。あらためて展示室の柱を見上げると、八角形の一辺の長さと天井の梁幅が一致したスマートな納まりである。実用面においても、角が面取りされた柱は現業室での円滑な搬送業務に適していた。1階の現郵便局に立ち並ぶ黒大理石の八角柱は、逓信省技師の吉田鉄郎が敬愛したストックホルム市庁舎にも見いだせる。八角形の柱には、設計者のしなやかな合理主義と意匠へのこだわりが凝縮されている。

松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)

「キノコ」

 「コロナード」の什器に、キノコ標本が数点、並んでいる。一見、展示室に棲息しているのかと見間違うほどのリアリティを醸し出しているが、れっきとした人工物である。展示されている模型は、明治12年に初代山越長七が創業した山越工作所で作られたものである。使用されているムラージュ技法は、明治43年(1910)年頃、長男の山越良三(二代目山越長七)が、ウィーン大学で習得してきたものである。ムラージュ(日本語で鋳型の意)とは、蝋製模型のことで、雌型に蝋を流し込んで出来た立体物を彩色して作る。初代山越長七の方は紙製の人体模型を得意としていたという。したがって山越工作所では、紙製模型も蝋製模型もどちらも作れたはずである。蝋を選んだのは、本体から型をとれるという利点があったからなのかもしれないし、キノコの瑞々しさを再現するのに、紙より蝋の方が適していると考えたからなのかもしれない。ところで、あくまで個人的な感想だが、この写実的なキノコ模型、見て美しいとは感じるものの、美味しそうと感じないのが不思議である。もっとも、本模型はすべて毒キノコとのことである。

秋篠宮眞子(東京大学総合研究博物館特任研究員)

謹賀新年。

 国内外の多くの方々からご支援を賜り、一年を大過なく過ごすことができた。ここに迎える新しい年もまた、実り多き年になるよう願うばかりである。来る三月末、インターメディアテクは開館以来、五年目の節目を迎える。企画展、講演会、音楽会、上演会、ワークショップなど、多種多様なイベントに忙殺された月日であった。図録、目録、写真集、(不定期刊行)冊子を出版し、併せてグッズ開発もおこなってきた。支援と連携の環も着実に拡がっている。国内の篤志家からは、ジャズSP盤コレクション、蓄音機コレクション、自然史学標本コレクションの寄贈があった。国外からは歴史的展示ケースの寄贈、国有コレクションの長期ローンの実現があった。協働企画展の申し入れも各所から頂き、なかのいくつかは実際に海外展として実現した。海外からの来館者の評判も頗る良い。「入館無料」の文化施設、その公益性を外国人の方が高く評価してくださっているのである。今年も職員一丸となり、社会から付託された使命を全うしたいと思う。

西野嘉章(インターメディアテク館長、東京大学総合研究博物館特任教授)

劇場という教育現場

 9月に訪れたウプサラ大学博物館「グスタヴィアヌム」の建物は1620年代にウプサラ大聖堂の真向かいに建てられ、3世紀に亘って増築された。建物の象徴は、それとわかるドーム型の屋根である。そこには、1662年にオラウス・ルドベック(1630-1702年)によって構想された「解剖劇場」がある。今でもグスタヴィアヌムの玄関から石畳の階段を屋根裏まで上ると、来館者を唸らせる空間が見えてくる。中央に配置された解剖台を囲むように6列の階段席が段々にそびえている。階段席といっても、座る場所はないほど窮屈である。そこでルドベックらが一般公開の解剖を行うなか、階段席に立つ学生たちは吐き気を抑えつつ勉強し、最上階の特別席では上流階級のマダムらがパフォーマンスを観覧していた。解剖劇場の音響も特殊である。解剖台周辺の音は全空間に響くが、階段席から質問があったとしても中央からはよく聞こえない。インターメディアテクにも階段教室「アカデミア」が設置されている。教育現場の建築を考えるよいきっかけとなった。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

登り龍

 IMTの正面玄関から入った瞬間、目に飛び込んで来るのが、壁に直立する巨大な骨格だ。しばしば恐竜と間違われているが、ワニである。全長は7.6メートルほど。これはマチカネワニ、大阪大学吹田キャンパスを造成中に発見された化石のレプリカで、原野農芸博物館より寄贈されたものだ。マチカネワニは40〜50万年前、日本にも分布していた。現在はマレーガビアルと同じTomistoma属とされているが、提唱された学名の一つToyotamaphimeiaは、海神の娘であり、その正体が鰐であった豊玉姫にちなむ。日本では数十万年前に絶滅したマチカネワニだが、中国ではもっと後まで残っていた可能性はあり、有史時代になっても生存したとする意見さえある。水面を割って浮上する巨大なワニの姿が目撃され、龍の伝説を生んだかもしれないのだ。今、IMTの「龍」は天を目指すかのように設置されている。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

丸の内カラス事情

 丸の内には1ペアのハシブトガラスがナワバリを持っている。オフィスの窓から見えるので、時々観察している。丸の内なんてお洒落で小綺麗なところで、どうやって餌を取るのかと思っていたが、人が暮らしている限りゴミは出る。丸の内のカラスも、朝一番に北口のガード下辺りで何か拾って来たのを見かけた。このペア、一昨年は丸ビルのド真ん前に営巣したが、さすがにこれはすぐ撤去された。その次は換気塔の中に営巣したようだが、これも失敗したらしい。去年は東京駅の中に営巣したが、これも失敗。そして、今年はどこに営巣したのかさっぱりわからない。営巣しても営巣しても人間に「ここはダメ」と撤去されてしまうので、絶対に人間に見つからないような場所に巣を作ったのかもしれない。丸の内はカラスにとっては、あまり住みやすい場所ではないようだ。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

出版計画再構築中(2)

 いずれ単行本にしたいと考えているもののひとつが「対談集」である。対談の中味は、まったくもってバラバラである。もちろん、誰か相手のいる話であるし、また場を設定してくれた出版社の都合もある。ということで、その都度ごと、テーマに一貫性がないのは致し方ない。しかし、それにしても、と改めて思う。かくも多様な分野に頭を突っ込んできたとは我ながら驚きではある。好奇心に富むとか、関心領域が広いとか。たしかに、そのように言えば聞こえは良い。が、ありていに言えば、対談企画を持ち込む出版社の意のままに、なにからなにまで無節操に引き受けてきたことの結果なのである。話相手を眼の前にもつことで、普段の自分と違った世界へと誘われる。そこが対談の面白いところである。また、どのような喋り方をしているのか、自分にとって反省の機会にもなる。ということで、是非とも出版したいと思うのであるが、多人数にわたる対談相手の許可が得られるかどうか。そう考えると、やはり気の滅入る仕事ではある。    
                                                                         西野嘉章(インターメディアテク館長、東京大学総合研究博物館特任教授)

インビトウィーン・ワールド

 なぜ演劇創作プロジェクト「Play IMT」を続けるのかと自分に問うならば、この取り組みを始めた時から答えに変わりはない。死して動かない動物や人工物ばかりが並ぶミュージアムに、生きて動く俳優たちの身体が加わった時に生み出される新しい世界が見てみたい。インターメディアテクの空間と展示物とそこに集まる人々に着想を得た、ここでしか実現できない独自性ある創作活動をしてみたい。このような「演劇×ミュージアムの実験」に対する期待と意欲があるからである。演劇パフォーマンス『Play IMT (7)—インビトウィーン・ワールド』のタイトルに用いた「インビトウィーン」という言葉は、ミュージアムと演劇という「二つの世界をつないだ間に生まれてくるもの」を意味している。俳優という存在がそのための「媒介役」であることに注目してほしいという思いも、この言葉がもつ二重の意味に込めた。館内の天井に翻る布のインスタレーションと、肖像画の額縁の中に俳優がうつし出された映像インスタレーションは、このコンセプトを暗示する仕掛けとなっている(12月3日まで公開)。

寺田鮎美(東京大学総合研究博物館特任准教授)

たかが展示、されど展示

 展示づくりに携り30年以上になる。「展示とは何だろう?」、こうしたことに自問自答する機会も増えた。展示は文字通り、展(ひら)き、示(しめ)すこと、つまり、しまい込んでいたり、畳んでいるものを表に出して露わにすることが基本である。そういう意味ではただ単に収蔵庫にある標本を展示室に持ち出して解説を施すことも展示である。しかしながら「展示」は見せ方如何によって観覧者に対する訴求力が大きく変わってくる。ある意図をもって(コンセプトといってもよい)伝えたいメッセージを最適な見せ方で展示すると、感じてもらえるものが大きく違ってくる。当館本館では「オープンラボ」と銘打った展示を行っている。収蔵がテーマであり、その導入部ではガラス張りの収蔵庫を象徴的に配置している。そこでは収蔵庫らしく雑然としながらも標本の存在感を高めるにはどうしたらよいか、そんなことをあれこれ構想した末のかたちを展示に仕立て配置している。

洪恒夫 (東京大学総合研究博物館特任教授)

溶接のこと

 日ごろからご来館誠にありがとうございます。こっそり始まりました研究者コラムお楽しみ頂けてますか? 華の無い画像で大変恐縮でございますが真鍮の什器、館内で展示物を載せているアレ、の製作を本郷本館の地下でしている様子です。什器は、載せる物の固定・転倒防止をし展示物の保全のためもありますが、載せる展示物の魅力をそっと引き出だす目的もございます。ご観覧される方に自分からどんどん魅力を主張できる展示物もありますが、その一方それらの陰に隠れてなかなか自分を主張できない展示物もございます。そんな主張の弱い展示物の背中をそっと押すような気持ちで製作した什器に載せております。ご観覧の際は、そんな展示物にも目を留めていただければ幸いです。なので 什器としては、“自分が目立たない”のが正解、注目されたら負けなんです。※ロウ付けのため真鍮の部材をステンレスの針金で仮留めします。耐火ブロックは、直前に粉砕しました。

中坪啓人(東京大学総合研究博物館特任研究員)

エアトン教授の机 <東京大学 木製什器1>

 インターメディアテクの窓辺にひっそりと佇んでいる木製の机がある。この机に近づくと自らの身体感覚によって、ほんの僅かな違和感を感じ取ることができる。この机は、1873年にイギリスより工部省工学寮工学校に招かれた世界最初の電気工学教授、W・E・エアトン教授が自ら設計し大工が製作した執務机である。床から天板まで780mm。インターメディアテクでは、東京帝国大学・東京大学の講義室や研究室で使用していた木製机を収蔵展示しているが大半は床から天板まで755mmである。2017年現在、大手家具メーカーで販売している既製品のオフィスデスクは天板まで720mm。自分の身体に合う家具の身体性とは、想像を越える心地良さに集中力は増すばかりであろう。「身体」つながりでいうと、エアトン教授と一緒に来日した夫人のM・C・エアトンは医学研究者で滞在中に『日本人の体格と身体の形成』という論文を書いているのが興味深い。時代を超えて、この机から様々な身体性に馳せる時が味わえる。

上野恵理子(東京大学総合研究博物館特任研究員)

イギリスと日本の漆

 2017年5月より、ロンドンに滞在し研究活動をおこなっている。ヴィクトリア&アルバート美術館にて、イギリスにおける油性塗料と漆の比較研究をするためである。とりわけ、18世紀頃に、西洋で流行した「ジャパニング」と呼ばれる漆を模した油性塗料は興味深い。ロンドンでは調査に加え、日本から様々な材料を持ち込み、現地で調達した材料と合わせて、実験的な制作も進めている。この度、制作物の一つが同美術館にて開催される「Lustrous Surfaces」展に展示される事となった。本展覧会は、日本、中国、韓国おける漆器を含む作品の表層に着目した展覧会である。日本の風土に適した素材とも言える漆をイギリスで使用することに、多少の不安も感じつつも制作を進めたが、特に問題もなく乾燥する漆を見て、改めて素材の強さを実感している。まもなく滞在を終え日本に帰国する予定である。日本食が恋しくなる一方、いささか名残惜しい部分もある。

菊池敏正(東京大学総合研究博物館特任助教)

鏡の中の自分はなぜ左右が逆さ?

 理科の先生にこんな質問をして困らせたことがあった。理科の先生は、光の反射の対称性を懇切丁寧に説明してくれたのを記憶している。しかし、問題が対称であればあるほど、上下が逆さにならず、左右だけが逆さになるという非対称性に矛盾を感じるようになるばかり。しかし、数日たってほどなく、理科の先生に質問したのは誤りであることに気づいた。国語の先生に質問するべきだった。問題は光の原理にあるのではなく、「上・下」と「左・右」という二つの言葉の性質の違いにあることに気づいた。「上・下」は自分が見ている方向によらず、常に方向が保たれる絶対的な性質をもつ語である。一方、「左・右」は、見ている方向に基づき、方向が決まる相対的な性質を持つ語である。改めて鏡をのぞきこむと、鏡は、本来物理的には左右を逆さにするものではなく、前後を入れ替える道具であり、前後が入れ替われば、その言葉の性質によって自ずと左右が入れ替わる。「私から向かって右」というように、前方を明示的に規定すれば、鏡の中でも入れ替わることがない。少々気張っていうならば、物理学的な問題は往々にして言葉の問題であったりするものだ。

森洋久(東京大学総合研究博物館准教授)

富士山の雲、ウプサラの雲

 先月、スウェーデンのウプサラ大学博物館「グスタヴィアヌム」にて特別展示『雲の計測――阿部正直が見た富士山』を設営してきた。富士山の山頂に現れる雲を絶え間なく撮影し、その生成過程と種類を分析し続けた阿部正直(1891-1966年)の先駆者は、実はウプサラにいた。1896年にパリで初めて出版された『国際雲アトラス』は、ウプサラに研究拠点を置いていた気象学者ヒューゴ・ヒルデブランド・ヒルデブランドソン(1838-1925年)の主導のもとで構想された。今でも日本の雲を見慣れた目でウプサラの秋の空を眺めると、独特な広がりと濃度を持つ雲が目立つ。雲はどこでも雲であるが、地域によってその形が限りなく変化しているように見える。19世紀末にヒルデブランドソンとともに世界各地の雲の共通点を探り、普遍的な雲の定型を定めたラルフ・アバークロンビーやアルベルト・リッゲンバッハの斬新な着想と偉大な計画に改めて感心した。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

インターメディアデザイン その一

 おそらく多くの研究者がそうであろう。私の場合は自身について名告るとき、まず“デザインの研究を…”と述べる。誰もがわかるその語句と曖昧模糊としたその語意に、消化不良でもあれば “デザインの研究とはなにか?”と問われる。矢継ぎ早に“様々なデザインの…云々”と補足こそするが、内容に踏み込むほどに難解にもなりかねない。むしろ、名刺代わりに展示室を一巡りするのがいちばんだ。“百聞は一見にしかず“でなければ相手にとって得られるものは何もない。デザインの仕事を物証なしに語ることはほぼ不可能だからだ。インターメディアテクに存在するデザインを私は「インターメディアデザイン」と称している。元来デザインの領域とは、まるで星座のごとく形成されるもの。ひとつのジャンルで語ることはできない。あらゆるジャンルを架橋する、あるいは統合する、それがすなわちインターメディアデザインである。

関岡裕之(東京大学総合研究博物館特任准教授)

阿部正直のガラス乾板写真

 昭和初期の気象学者阿部正直のガラス乾板を整理している。概ね縦120mm、横164mmのキャビネ判約1840枚のほか、手札サイズ335枚がある。阿部が昭和3(1928)年から16年にかけて御殿場から撮影した富士山にかかる雲の記録写真の他、著書や論文の図版に使用した撮影器具・計測器具の写真、気流実験の写真などである。状態は良好で、簡単なクリーニングをし、スキャナーでスキャンをしている。現在約1680枚のスキャンを終えた。その後フォトショップで角度を直し、白黒を反転させる。1枚あたり計10分ちかく要する根気のいる作業だが、反転させて現れる写真は自然の織りなす美しい造形の数々であり、霊峰富士の名に相応しい雄姿をみせてくれる。阿部正直が富士山と千変万化の雲に魅せられたのも肯首できる。

白石愛(東京大学総合研究博物館特任助教)

建築の記憶

 建築の記憶を一つの造形物にまとめたらどうなるか。その実験試行として制作した模型である。古代エジプトから現代までのさまざまな建築を立体的にコラージュし、3Dプリンタで出力している。カルナック神殿、パンテオン、ランス大聖堂、東大寺南大門、桂離宮書院、サヴォア邸、森山邸など作者の記憶に残る内外30以上の建築が、おおむね古い順に下から組み上げられた。ファサード、外観形態、内部空間、骨格構造といった、その建築の特徴的な部分を縮尺1/300で表現している。建築単体を再現した「縮小模型」、建築の部分を抽出した「空間標本」に続く、建築を集成統合する第三の模型表現の試みである。ここで選択された建築群は、建築史の流れを網羅的にカバーするものではない。しかし時代の推移とともに、建築の物象においては量塊的なものから繊細なものへ、空間においては閉じたものから開かれたものへ、という大きな変化の流れが見えてくる。(模型『建築の記憶』は東京大学総合研究博物館小石川分館で常設展示中)

松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)

インドに咲く花、あるいはインドに散る花

 特別展示『植物画の黄金時代—英国キュー王立植物園の精華から』の会場で、注目していただきたい植物画がある。イギリス人植物学者がインドで現地の画家を雇い入れて描かせた「カンパニー画」である。この呼称は、絵画制作の依頼主がイギリス東インド会社(=カンパニー)社員であったことに由来する。インドとヨーロッパとの混合様式である、とその絵画様式の特徴を一言で説明はできるものの、ムガル帝国が没落し、イギリスが商業的・政治的にインド支配を進めた当時の社会状況からわかるように、両者は決して対等な関係ではない。主観的な印象を述べることが許されるならば、ヨーロッパの自然主義的表現を求められたインド人画家の筆先から、封印したはずの自分のルーツとなる伝統的美意識が図らずもほとばしり出た瞬間が留められているような気がする。そのような名もなきインド人画家を主人公にした小説をいつか書くとしたら、「インドに咲く花」というタイトルにしようか。いや「インドに散る花」がよいか。植物画を前に、想像の花も開いた。

寺田鮎美(東京大学総合研究博物館特任准教授)

IMT特別展示「植物画の黄金時代—英国キュー王立植物園の精華から」に寄せて

 キュー王立植物園より28点の植物画を借りて、展示を行うことになった。植物園というと、緑あふれる憩いの場を想像する人も多いに違いない。しかし、キューがキューたるゆえんは、大規模な研究機関として存在感を示し続けていることにある。古くから植物に関する豊富な資料を蓄積してきており、植物画もその一部である。植物は、乾燥させて標本にすると、本来の色彩や立体感を失う。乾燥標本も情報を残す貴重な手段であり、見た目にも美しいとはいえ、「植物の素顔」を後世に伝えようと思うなら、植物画家の技に頼らざるを得ない。白の紙を背景とするなど、一定のルールに基づき、紙面という限られた空間に、どう植物を配置し情報を散りばめるか、そこが工夫のしどころである。「生きている植物」をいきいきとした姿で伝えるのが植物画だ。本展の図録表紙やポスターに使われている、著名な植物画家ゲオルク・ディオニシウス・エーレト(1708-1770)のチューリップ図を見れば一目瞭然だろう。まさに平面から飛び出して来んばかりではないか。

秋篠宮眞子(東京大学総合研究博物館特任研究員)

「ジャズ・ディスコブラフィー」の迷宮

 2013年から蓄音機音楽会を定期的に開催している。その間「湯瀬哲コレクション」のデータベース化に向けてSPレコードの整理を進めてきた。SPレコードのシングル盤約5000枚、アルバム約380冊を含むコレクションは、インターネットのない時代に個人によって構築されたとは思えない。現物を見ながらレコードの各面に収録されている曲の録音情報を調査し、データとして纏めると多くの発見がある。湯瀬氏がレコード蒐集に没頭していた時代は、個人の調べそして国内外のアマチュアとの文通がジャズ史に関する基本情報を得る唯一の方法だった。しかし主要大学に「ジャズ・スタディーズ」部門が設立されている現在、レコードのデータ目録に「ビッグ・データ」が導入されつつある。万単位でレコード情報を分析すると、戦後日本におけるジャズ市場の動向や流通状況が見えてくる。今まで静かに佇んでいたコレクションの個々のレコードの間に、新たな関係性が生まれつつある。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

夏鳥の季節

 インターメディアテク(IMT)のStudiolo(収蔵展示室)には多数の鳥類剥製がある。階段を上がった正面に見える部分は、山階標本の定位置であり、当館の「顔」の一つであろう。IMTのオープン以来、この鳥たちの配列は変化し続けている。分類群で並べるか、色味や見え方を意識するか、何かテーマに沿って配置するか、それは我々の意図であり、企画であり、時に遊び心である。今、Studioloの角、オナガドリの左側部分には、夏鳥が到来中だ。キビタキ、オオルリ、サメビタキ、コチドリ、コアジサシ、アオバズク、ヒメアマツバメ、ショウドウツバメ、オオヨシキリなど、東南アジアから飛来して日本で繁殖する鳥たちが並んでいる。棚の上の、ライオンのようなタテガミを持った2羽は、渡りの途中で日本に立ち寄ったエリマキシギ。残念ながら日本ではこの繁殖羽をまとった姿は見られないが、せめて、標本で確認して行って頂きたい。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

鳥たちの森

 インターメディアテク(IMT)の大階段を登りきったところに広がるガラス張りの収蔵展示室、それがStudioloである。ここには山階鳥類研究所よりの寄託、(旧)老田野鳥館よりの寄贈を含む鳥類標本約500点が収蔵されている。一部では京極夏彦氏の小説になぞらえて「由良伯爵の部屋」と呼んで頂いているようだが、デスクと椅子とタイプライターと羽ペンもあって、確かにそんな雰囲気はある。デスクは法学部の教授室備品だったもの、タイプライターも学内でかつて使われていたローヤル製のものだ。私の中で、あのデスクは「先生の机」であり、姿を見せない謎の教授がいる、という設定である。先生は今、日本産の鶏の一品種である天草大王の標本を山階鳥研から借りて研究中らしい。足にまで生えた正羽が特徴だ。机の上にはハシブトガラス(骨格)も止まっている。なお、羽ペンは私が先生にお貸しした。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

出版計画再構築中(1)

 この三月末で定年を迎えた。インターメディアテクの館長職はいま少し継続することになった。博物館勤務は都合二十三年になるが、その間、傍らに置き去りにしてきた関心事がいくつもある。ひとつは「十五世紀プロヴァンス絵画史研究」と「キリスト教図像学」の宗教美術研究。この研究課題では、戦前の日本人の残した南仏古画紀行の先見性、宗教美術における「ことば」と「イメージ」の相関性、美術作品に有する物理的な組成など、語りたいことが山ほどある。しかし、出版環境は絶望的である。部数のでない専門書の出版を敢えて引き受ける、勇気ある書店がどこにも見当たらないからである。この点では、欧米の方がいくらかましかも知れない。売れない本は出さないとの考え方に違いはないが、しかし、内容が有意であると見れば、少部数の刊行に踏み切ってくれるところもなくはないからである。問題は論法を欧米風に切り替えねばならないこと。これがかなり大変、と言えば大変である。

西野嘉章(インターメディアテク館長、東京大学総合研究博物館特任教授)