JPタワー学術文化総合ミュージアム インターメディアテク
研究者コラム

Province

 IMTに展示されているが、しばらく「由来不明」となっていたオオカミの頭骨がある。正確に言えば、「理解不能」だったのであるが。Canis lupusと書いてあるから、オオカミと考えていい。額段や口蓋を見てもオオカミのようだ。だが、理解しがたいのは、「Central Province」と読める走り書きがあることだ。中央プロヴァンス? フランスの? あんなところにオオカミが? もちろん、古い時代にはいた。15世紀にはパリ市内にまで侵入した「狼王」クルトーというのもいたくらいだ。だが、そんな古いものには見えない。しかもラベルの一部にキリル文字が印刷されている。なぜフランスでキリル文字? 待て。Provinceには英語で「地方」という意味もあるではないか。ならば「中央地方」という意味にすぎないかもしれない。調べた結果、モンゴルのトゥブ県は「Central Province」とも呼ばれていることがわかった。それ以外の情報を突き合わせても矛盾がない。これは、モンゴル産のオオカミの頭骨だったのである。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

自分が面白いと思うことを人に伝える

 大学生ボランティアが担う「アカデミック・アドベンチャー」という小中学生向けの展示案内プログラムでは、普段の準備や練習の時から、解説や説明という言葉を敢えて使わないようにしている。というのも、展示物に関する知識を伝達することが主目的ではなく、双方向的なコミュニケーションを通じて、子どもたちが展示物を自分の目で見て、それについて自分の頭で考える体験をするための手助けを行うことを重視しているからである。それを実現するためにどのようなアドベンチャーを作るのか、取り上げる展示物を決めるのも、リサーチを行いながら内容を組み立てるのも、大学生自身である。毎週、ボランティア活動日に集まる学生たちの試行錯誤に立ち会う立場にある私の目から見て、詰まるところ一番大切なのは、学生自身が「面白い」と思った最初の気持ちを子どもたちが追体験できるアドベンチャーになっているかどうかという点であるように思う。ひらめきや情熱といった感覚的なものを含めて、自分が面白いと思うことを「人に伝える」のがいかに難しいことか。学生たちの日々の努力に接し、私自身はそれができているかと研究に取り組む自分の姿勢を時折振り返る。

寺田鮎美(東京大学総合研究博物館特任准教授)

藪の中

 普段は博物館勤務だが、鳥類の野外調査も行っている。本来はそっちが本職といってもいい。やはり野外調査がないと精神が乾涸びる。研究テーマはカラスの生活史であるが、近年、山の中でハシブトガラスを探していることが多い。丸の内にも普通にいるカラスだが、本来の生息地は森林だからである。森林のハシブトガラスはシャイで用心深い。生息環境を調べるために巣を探そうとすると、とんでもなく大変であった。カラスの行動を観察し、音声をプレイバックし、定点観察し、ICレコーダーで録音した音声から探索範囲を狭め……、それでも最後はカラスが巣に戻るのを実際に見て確かめるしかない。迷彩服を着てコソコソと林内に入ると、下生えの中に這い込み、偽装ネットを被って、息を潜めてカラスを待つ。それでも、枝に止まったカラスがじっとこちらを見て大声で鳴き始めたら、見破られているのである。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

ザルツブルクに行ってきました

 平素よりご来館いただきまことにありがとうございます。今年2月にザルツブルクで行われた『THE 11TH OPEN EUROPEAN TAXIDERMY CHAMPIONSHIPS® 2018』に交連骨格を出品し、同時に催されるセミナーを受けに英語ができないのに一人で行ってきました。これまで一冊の本を頼りに試行錯誤しながら一人でやっては来たが、はたして剥製や交連骨格の製作技術が発達している場所でも通用するのか? それを確かめるために、実際に審査員や他の出品者に評価をしてもらうのと、セミナーに参加して考え方や技術などを学ぶのが目的です。出品作品が並ぶ展示会場は、一般公開される前夜に参加者のみが内覧できる時間帯があり、出品者はそこで自身の作品の審査結果を知ります。開場とともに歓声を上げながら入場する参加者は自身の審査結果を確認し、お互いほめたり慰めたりします。幸い私が出品した作品は、交連骨格部門の専門家クラスで優秀賞をいただくことができました。会場では技術や表現について活発に議論し、気になる作品を観察する様子が見られましたが、これこそが技術が発展していく理由なのだと感じました。日本でもここ数年で実際に作られる方も増え裾野は広がったように感じます、そこから高みや深みを目指す人が多く現れるのを願ってやみません。ところで初めの海外、めちゃくちゃきつかったです。あと、食事がみんなしょっぱい!!

中坪啓人(東京大学総合研究博物館特任研究員)

出版計画再構築中(6)

 傲慢と言えばそうかもしれない。書けるのは自分しかいない、否、そのように信じたい、と思う内容の本が、「インターメディアテク」構想とそれが実現に至った経緯を記録として綴ったものである。われわれが丸の内に開設した文化施設は、なにゆえ「ミュージアムを標榜しないミュージアム」であり、「インターメディアテク」を自称することになったのか。この根底にある考えは、やはり文字のかたちで書き残しておくにしくはない。「ミュージアム」の呼び名で市民社会のなかに定着してきた社会教育施設に、収蔵、調査、研究、展示、発信の機能充足を果たさせるだけでなく、独自の芸術的創造の苗床を定位させることはできないか。モノの保管場所は、いつの時代にあっても、イデア創発の触媒に満ち溢れている。ポスト「オリパラ2020」をどうするのか、それが問われている今こそ、そのことを改めて問うてみたいのである。

西野嘉章(インターメディアテク館長、東京大学総合研究博物館特任教授)

AIからIへ

 小石川分館の建築博物教室で、高村大也先生※に『ことばのアーキテクチャ −−人工知能による言語の理解』という講演をしていただいた(→概要レポート)。高村先生は自然言語処理と人工知能の先端的な研究者である。この講演を通して人工知能研究について多くを学び、また自分なりに考えるきっかけを得た。そのポイントは三つある。第一に、人工知能の目的は人間の知性の置き換えか、あるいは人間の知性の支援・強化なのか。人知の置換と考えれば社会全体への脅威にもなるが、ボトムアップ的な視点から見れば個々の生き方が開かれる可能性を感じる。第二に、人工知能との対話における受容(解析・認識)から創出(推論・生成)への展開。この後段のプロセスは特に興味深く、デザインや創作ができ、仮説形成や価値創造に結びつく人工知能に期待したい。第三に、人工知能の中枢をなす機械学習の方法論の逆活用。ディープラーニングの多層的な方法論を人間の日常行為にリモデル化して導入し、知の外部化に逆行する「知の再内部化」ができるのではないか。時間とともにAIのAが徐々に消えて、新たなIが立ち上がるかもしれない。講演に合わせて作られたアーキテクトニカ・コレクションは「語彙のネットワーク」の3次元モデルである。(※ 東京工業大学教授、産業技術総合研究所人工知能研究センター研究チーム長)

松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)

水中を飛ぶ

 IMTの2階に、二足歩行する動物の骨が集まっている。この中に、マジェランペンギンの骨格もある。ただでさえ奇妙なペンギンだが、骨格にするともっと奇妙だ。まず、こんなに体幹が直立した鳥はいない。大腿骨は脊椎と直角、地面とほぼ水平に伸びる。そして膝を直角に曲げ、ふしょ節(鳥のくるぶしから指の付け根までを構成する骨)と指骨をべったりと地面につけて立っている。ペンギンは立っている間じゅう、空気椅子状態なのである。さらに、飛びもしないくせに妙に頑丈で長い胸骨、発達した竜骨突起も目に付く。そして何より、恐ろしく丈夫そうな烏口骨、そして太い腕の骨格。ペンギンの翼(正しくはフラッパー)は大変な力を持っていて、コウテイペンギンに思いきり殴られれば骨折しかねない。これらは全て、抵抗の大きな水中を飛ぶように泳ぎ、かつ氷の上を延々と歩くためだ。あのコミカルな見かけの下で、ペンギンだって苦労しているのである。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

出版計画再構築中(5)

 欧米の古書店から送られてくるカタログは、好個の読み物の一つである。内容は、もちろん古書店の専門に拠って様々であるが、あるときから「本に関する本」という下位分類項目の存在を意識するようになった。これをもって「書誌学」的な視点、などと大げさなことを言うつもりもない。しかし、本を好きな人は本を書く、あるいは本について書くのも好きである、という単純な事実の発見は、自分にとって案外意味深いものであった。いまにしてそのように思う。結果的に、本好きが高じて、本についての原稿をいくつも書くことになったばかりか、本についての講演会もあちこちで開くことになったわけである。これらのテキストや資料は、他者の本に関するものと自分の本に関するものに大別できる。ということで、前者は『拙稿集』、後者は『拙著考』の表題で出版したいと考えている。それがいつの日のことになるか、先の見通しの立たぬ日々が、当分のあいだ続きそうである。

西野嘉章(インターメディアテク館長、東京大学総合研究博物館特任教授)

録音再生の起源

 人間の声を封じ込め、それを異なる時空間で再生しようとする願望が技術的に実現したのは19世紀後半のことである。エドゥアール=レオン・スコット・ド・マルタンヴィルが1857年3月25日に録音機「フォノトグラフ」の特許を取得し、シャルル・クロが1877年4月30日に録音再生機「パレオフォーン」の設計を科学アカデミーに提出するなど、録音技術の黎明はフランスにあった。しかしこの発明を実用的な技術に結びつけたのが、1877年12月24日に米国で「フォノグラフ」の特許を申請したトーマス・エジソン(1847-1931)である。フォノグラフの原型は真鍮の輪胴に溝の切られた錫箔を巻きつけ、二つの雲母製の振動板によって録音と再生をそれぞれ行う装置であった。1878年4月24日に設立されたエジソン・フォノグラフ社はレコード産業の道を切り開いた。シリンダー・レコードを中心に音質を追求したエジソンは縦振動型の録音再生に拘ったが、主流はエミール・ベルリナーが発明した横振動型のディスク・レコードとなり、エジソン社が蓄音機製造から撤退した1929年にはディスクを中心とした市場が確立していた。インターメディアテク3階に展示しているエジソン蓄音機コレクションからは、エジソンが19世紀末から改良を重ねて追求した「音のデザイン」の系譜がうかがえる。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

日本画の鳥たち II

 「鳥類写生図」(河辺華挙 編纂)のうちの一巻には、小鳥たちの動きを捉えるためのスケッチが集められている。ここに描かれた鳥は(想像で描いたのでなければ)全て生きた状態で観察されたはずだ。驚くべき事に、江戸末期から明治中期に描かれたにも関わらず、カナリア、サトウチョウ、ホンセイインコなど、外国産の飼い鳥も描かれている。どれほど貴重で高価であったことだろう。一つ、特に気になる鳥がある。体は黒く、頭は真っ白で、嘴と脚が赤い。画材が限られているので完全に天然色ではないかもしれないが、こんな色合いの鳥は日本にはいない。コムクドリかとも思ったが、どうも描きぶりが違う。これはシロガシラツグミの台湾亜種ではないか。この鳥は東南アジアの島嶼に住み、台湾亜種は頭が真っ白で特に美しい。今や希少になってしまったこの鳥も、はるか昔、日本まで運ばれて来て、絵師の家の縁側の鳥籠の中にいたのだろうか。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

痛風

 北海道出張中に、右足の親指に激痛が走り、骨折かと思って医者に飛び込んだ。痛風の発作であった。長年の豊満な食習慣のために尿酸が身体中にたまり、それが一部瓦解することによって発作が起きる。この発作と同時に、私の体の中で、免疫機構の一斉蜂起が起きたのだろう。いままで経験しなかったような体調の変化が始まった。あるときは、体の中をナメクジのような生物がにょろにょろと這いずり回り、あるときは、ピキピキ体のあちこちがしびれる。ナメクジとピキピキがお互い忍び寄り同期し、勢い高調に達すると、二度目の発作。その話を京都の医者にしたところ「どうもあんたの言っていることは痛風ではないみたいだ」という。北海道の医者の結果をもう一度、ちゃんと調べようということで、血液検査をしたが、北海道の医者の言う通り痛風という結果になった。ピキピキを音楽に例えるならば、「くるみ割り人形」『金平糖の踊り』だ。チェレスタの旋律は一見平和だが、直後に不穏なファゴットの下降音階が続く。一方、ナメクジと発作のムーヴメントは「展覧会の絵」『バーバヤガの小屋』と、家内はこれを聞いていて、「ああ、いずれもロシアものだね」と言う。この話を東京の医者にしたところ「どうもあんたの言っていることは痛風ではないみたいだ」という。京都の医者の結果をもう一度、ちゃんと調べようということで、血液検査をしたが、京都の医者の言う通り痛風という結果になった。それからおおよそ半年、治療も生活習慣改善も甲斐あって、かなりよくなってきた。いまではときどき、ウォトカをぐびとやっている。医者の言っていることはどうもいい加減だ。

森洋久(東京大学総合研究博物館准教授)

建築の時間

 歴史的建造物の「転生」がよく見られるようになった。当初の役割を終えた建築が、その空間特性を維持しつつ、以前とは異なる機能をもった施設に生まれ変わる。2000年に開館したロンドンのテート・モダンは、旧バンクサイド発電所を改修してつくられた近現代美術館である。スイスの建築家ユニット、ヘルツォーク&ド・ムーロンは、大胆かつ抑制されたデザインによってこの設計コンペを制した。旧発電所のタービン・ホールを巨大な吹抜として残し、現代美術のインスタレーションの場として活用している。建築の転生の身近な事例を探せば、インターメディアテクは旧東京中央郵便局のオフィスを、当館小石川分館は旧東京医学校の校舎を出自とするミュージアムである。時間の流れの中で建築資産を柔軟に使い続けることは、持続可能な社会をめざす上で避けて通れない課題であろう。すなわち「建築の時間」のデザインが必要とされている。それは建築を静態ではなく動態のシステムとして捉えることにつながる。時間推移は単調で予定調和的なものとは限らず、予測不能で突発的な変化も起きる。建築の空間継承は保存と創造の営為である。

松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)

出版計画再構築中(4)

 一九八〇年代初めのことだったと思う。『ヤヌス學大全』というタイトルの本を出したいと一念発起し、古代から現代に至るまでの「ヤヌス現象」について書き連ねることを始めた。いくつかの雑誌にそのテーマで連載をおこなったことで、原稿の蓄積が進みはしたものの、様々な要因が重なって、いつの間にか書き続けることを止めてしまった。ということで、この本もまた中途半端なままになっている。原稿を整理するなかで、「大全(スンマ)」という言葉が気になり出した。トマス・アクイナスの『神学大全』がそうであるように、「大全」を名乗るなら、それが何についてのものであるにせよ、全体を包摂してみせるとの意識を堅持しつつ、事を進めねばならないはずである。ならば、自分の考える本ではどうか。古代から現代まで、というのはあまりにも大風呂敷な課題設定で、とうてい「大全」を名乗る資格などない、ということになる。その意味での反省はある。しかし、タイトルだけはえらく気に入っているのである。
                                                                         西野嘉章(インターメディアテク館長、東京大学総合研究博物館特任教授)

ミュージアムとジェンダー

 ウプサラ博物学三代、ルドベック、リンネ、ツュンベルクの活躍した時代の学術界は男性中心であった。その中にあって、今回の特別展示出品物の作者名に見える唯一の女性が画家アンナ・マリーア・テロット(1683-1710)である。父親に手ほどきを受け、兄弟とともに様々な出版物や美術の仕事に携わったが、女性である彼女には自分の才と技により独立した美術家となる環境は与えられなかった。『「花と果実」スケッチブック』が展示に組み込まれていることは、この事実に思いを至らせ、当時の男性中心社会を生きた女性の存在を無視していない点において、意義をもつ。インターメディアテクに展示している帝大時代の学術遺産もまた、いかに「マッチョ」な世界にあったかという事実は、例えば館内の肖像画や肖像彫刻がすべて男性像であることからわかる。歴史的事実を変えることはできないが、現代的な問題意識をもってそれを眺める観点はミュージアムが新たに創出し得る。東京大学の歴史を伝える資料体をいまここで公開し、未来に残していく意味を問うために、ジェンダーの問題をどう扱うのか。考えるだけではなく、行動に移していかねばならない。

寺田鮎美(東京大学総合研究博物館特任准教授)

建築模型の復元模型

 昨年秋に「雲の伯爵——富士山と向き合う阿部正直」展の設営のためウプサラ大学博物館「グスタヴィアヌム」へ訪れる機会があった。当時、私はロンドンに滞在していたため、スウェーデンへは飛行機にて2時間程のフライトである。時差の影響もさほど受けず、日本からのメンバーと合流するまでに数時間あったことから、空港からウプサラへ向かう前にストックホルム市内の美術館を訪れた。ストックホルム近代美術館には多くの20世紀前衛作家の作品が並んでいる。中でも「第3インターナショナル記念塔」の建築模型を復元したレプリカは想像以上に大きく、加えて複雑な構造からは100年以上前に構想されたものとは思えない新鮮な印象を受ける。ウラジミール・タトリンによって構想されたこの記念塔が実際に建築されることは無かったが、模型を復元することによって、当時の構想の壮大さを現代に伝えている。このような前衛的な作品を肌に感じつつ、今後の新しい芸術の潮流が北欧の地から生まれる予感さえも感じた。(写真はストックホルム近代美術館)

菊池敏正(東京大学総合研究博物館特任助教)

博物学の等角図

 開催中の特別展示は、リンネを中心にスウェーデンのウプサラで生まれ、近代博物学の王道を築いた学術資料を直に観る絶好の機会である。リンネの弟子ツュンベルクが1775-1776年の日本滞在から母国へ持ち帰った工芸品など10点あまりの小物も、「里帰り品」として展示されている。ツュンベルクが帰国後に著した『ヨーロッパ、アフリカ、アジア紀行』(1770-1779年)の図版で詳細に描かれ、ジャポニズムに先がけて欧州に「日本趣味」を普及させるうえで重要な役割を担った民族学標本である。ツュンベルクに代表される西洋の学者を通じて近代西洋博物学が日本に導入され、従来の本草学の学術的枠組みを抜本的に革新したことは周知の通りである。一方、彼らが母国に持ち帰った日本の工芸品や絵には、19世紀ヨーロッパの美的感覚を一新させる造形美とそれを支える独自の美術的手法が凝縮されていた。特に、本草学の和本に収められている水彩画や木版を観ると、遠近法を用いない、平たい空間表現が特徴的である。等角図に基づくこの大胆な空間表現は、標本描写に新たな可能性を与えただけではなく、空間認識そのものを変えるものであった。そういう意味で、本草学資料の国際的な再評価の時期が来たともいえよう。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

紙に描かれた生物たち

 4月24日から、特別展示『ルドベック・リンネ・ツュンベルク――ウプサラ博物学三代の遺産より』が始まった。スウェーデンの誇る自然史学者、ルドベック、リンネ、ツュンベルクにまつわる貴重な資料を展示しており、それらスウェーデンより来た資料に加えて、東京大学所蔵の資料も関連展示として公開している。全体を見て感じるのは、生物が生きている時の姿をうつしとった図譜や図版の存在感の大きさである。写実性という点でいうと、スウェーデンのオロフ・ルドベック(子)が1693年頃から1710年にかけて出版した『鳥類図鑑』の図版は、今回剥製と並べて展示しているため、よりその精密さが際立っている。特に色彩の再現力や細やかな羽の表現には目を見張るばかりである。色彩といえば、明治10年頃に描かれた『梅園魚譜』(元は毛利元寿によって江戸後期に描かれたもの)も素晴らしい。魚のきらめきを表現するために、雲母や金粉と思しき画材を用いて描かれている。展示ケースの上からだけではなく横から見てみると、魚が照明を反射して更に生き生きとして見えるのである。描き手たちの工夫に思いを馳せながら眺めていると、あっという間に時間が経っていることに気がつくに違いない。

秋篠宮眞子(東京大学総合研究博物館特任研究員)

頭文字L

 ウプサラ大学博物館裏の公園で鳥を見ていたら、ひとりの老人がやって来て、同じベンチに座り、ワインを煽りながら私に話しかけてきた。残念なことにスウェーデン語なので一言もわからない。すると老人は英語に切り替え、「バードウォッチングか」と尋ねた。双眼鏡の話をしたり、手笛の吹き方を教わったりしていると、目の前のゴミ箱に1羽のカササギが舞い降りた。驚いたのはその時だ。老人がカササギを指差して、「ピカ・ピカだ。知っているか」とサラリと言ったのである。Pica picaはカササギの学名。スウェーデン語ではSkataというので全く違う。この老人は別に鳥類学者というわけではなく、せいぜいちょっとしたバードウォッチャー程度のようなのに。だが、考えてみたらカササギの学名を命名者まで書けばPica pica L. 1758だ。命名者は「L.」、イニシャルだけで済ませてよい唯一の人物、リンネその人である。さすがウプサラはリンネのお膝元と言うよりなかった。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

日本画の鳥たち I

 日本画に描かれる鳥は、お世辞にもリアルではないことがある。だが、それは必ずしも、画家の観察眼そのものの限界を示してはいない。絵とは「その時代とその技法のお約束」でしか描かれないものなのだ。近代科学発祥の地であるヨーロッパとて、18世紀の博物画を見てみれば、そこにとんでもないデフォルメを見て取ることができようし、年代を追ってデフォルメが変化してゆくのも追うことができる。河辺華挙の編纂した「鳥類写生図」を見ると、絵師が研鑽を積むための、完成された絵の背後に隠された観察眼というものがよくわかる。そこには明らかに死骸とわかる、ダラリと横たわった鳥が描かれ、色合いやサイズ、羽毛の枚数までが記入されているのである。種名も書き込まれているが、それを読まずとも、絵だけで十分に同定できる精度である。こういった精緻なデッサンを理解した上で、型式通りの日本画の構図に落とし込んだのであろう。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

“時”と協働するデザイン

 エイジングされたもの、つまり自然に経年変化したものは、時間の経過でしか現わせない趣きや力がある。“インターメディアテク”も80余年が経過した昭和初期の建築と、古くは明治の初めに作られた標本、そして学内等で使用されていた家具や什器など、エイジングされたものによるハーモニーが魅力を生み出し、訴求効果を高める要因となっている。新造の施設はゼロから施すデザインが空間の表情をつくるが、リノベーションは新築では決して出せない魅力の創出が可能である。それはデザイナーの感性と“時”がすり合って生まれるデザインといえよう。小学校の廃校をミュージアムに改装した長野市の戸隠地質化石博物館、高校の廃校を活用した静岡県のふじのくに地球環境史ミュージアムなど、学校建築のリノベーションは初めから学び舎の記憶を持った建築がミュージアムに更なる雰囲気を与える。時間が経過したものとの協働は“時”がデザインの一翼を担うのである。(写真は戸隠地質化石博物館)

洪恒夫 (東京大学総合研究博物館特任教授)

スフィンクスの謎

 もう、いまではそう珍しいことでもないが、ホンダのアシモくんが初めて二足歩行ロボットとして登場した時は驚いた。アシモくんの開発チームのメンバーは、開発にあたって、このような人間の似姿を製作しても宜しいだろうかと、ローマ法皇にお伺いを立てたそうだ。「はじめ四本足、次に二本足になって最後に三本足になる動物はなにか」というスフィンクスの謎かけがまさにそうであるように、「歩く」ということは人生を表している。そして、「歩く」ことと対になるのが「知恵」である。ホモサピエンスは、アフリカで二足歩行をはじめたことによって「知恵」を得た。「歩く」ことが人生を表している一方で、歴史的に見て「知恵」が超越者を表すことはそう珍しくない。代表的なものに、古代エジプトの思想や、ユダヤのメシア思想などがある。「知恵」の似姿としての人工知能はいま、ゲームの世界では超越者となりつつある。医療の世界では難しいガンの早期発見をやってのけたりする。ゲームや画像認識の世界にとどまらず、これから、社会全般にありがたい超越者として、人工知能が広がってくるのであろうか。だが、世の中を眺めているとイカサマ人工知能も多い。つまりは霊感商法的な....。

森洋久(東京大学総合研究博物館准教授)

サウンドレイヤー

 サウンドレイヤーとは、音による現実拡張の試みを多層的に展開する革新的なコンセプトと技術である。インターメディアテクでは、株式会社THDのアイディア提案と技術協力により、ミュージアムにおけるサウンドレイヤーの可能性を探求するプロジェクトを2017年7月から始動させた。来館者が専用アプリを入れたスマートフォンを持ってインターメディアテクの各展示エリアに入ると、コンテンツ――展示空間デザインについての音声解説、展示物や空間に合わせてカスタマイズされた音楽・音響等――が自動再生される。これら複数の音がレイヤー状に積み重なり、来館者一人一人がその時に聞きたいものを自由に選択できる。このような構想を実現させるためのシステム開発とコンテンツ制作が現在進行中である。通常、ミュージアムを訪れた人は、展示物を見る、あるいはその脇に付けられたキャプションを読むといった視覚をはたらかせる行為に注力する。従来のオーディオガイドがこの視覚的行為の補助的な役割を担ってきたのに対し、サウンドレイヤーは聴覚をメインの感覚器官とすることで、人々のミュージアム体験そのものを変革する。インターメディアテクを実験場として、人々の認識世界を音で変えるプロジェクト、聴覚分野の最先端テクノロジーを用いた「音のメディア芸術」と言ってもよい。

寺田鮎美(東京大学総合研究博物館特任准教授)

横浜港鎖港談判使節団の「面貌」

 写真左は江戸時代末期の外国奉行池田長発(28歳)、右は日本初の医学博士の一人三宅秀(16歳)である。両者ともに、文久3年(1863)12月から翌年7月にかけて派遣された幕府遣欧使節団の一員で、滞在先のフランスで撮影された。通称横浜港鎖港談判使節団とよばれ、安政五箇国条約によって安政6年(1859)に開港した横浜港の再鎖港要求を目的として派遣された。当時目付兼外国奉行の池田はその正使として交渉にあたったが、結局失敗に終わった。池田は攘夷論者であったが、帰国後は開国論者に転じ、幕府からは役目不履行を理由に蟄居を命ぜられ、不遇の余生を送った。一方、三宅は組頭田辺太一の従者として随行した。滞仏中に「解剖場」や外科道具の店を訪れ、大いに見分を広めて帰国し、明治から昭和初期にかけて日本の近代医学の普及と教育発展に寄与した。同時期に撮影された写真の「面貌」から、その後の異なる命運にも思いを致すことができる。

白石愛(東京大学総合研究博物館特任助教)

インテリジェンス

 教養学部前期課程で映像制作の授業を担当している。今年度の制作課題のテーマは「インテリジェンス」とした。AIの進歩が現実化し、シンギュラリティの到来が予測される中で、私たちの知性はどうなっていくのか。人間と社会の次なるイメージを映像で表現したい。2つのグループが作品を制作した。「知外法権」(高倉・石井・中尾・新井)は、高い知性をもつ人間が国家に抹殺される近未来社会で、システムの解体に立ち向かう3人の大学生を描いた作品である。国民の知性を集約した巨大な権力システムに対する闘争の物語であり、知性の外部化と制御の問題に着眼している。もう一つの「Minds, Brains, and Manuals」(星野・中畑・増渕)は、人々の日常的な会話や行動が「マニュアル」に依存することを発見した主人公が、自分の手引書と訣別するまでを描く作品である。チューリングテストに続く有名な思考実験「中国語の部屋」を出発点として、人間の内面や意識の不可知性を扱っている。どちらの作品も、AI のバラ色の未来予測に加担するというよりは、人間の知性に対する批判的な自問自答をベースにしている。骨太の問題意識を感じさせつつも、映像としてはスリリングで没入できる作品であった。(写真は「知外法権」)

松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)

出版計画再構築中(3)

 いくつもある出版計画のなかで、最初に具体化したいと思っているのが『村上善男●頌』である。弘前大学で教員生活を送るなかで、知り合い、以後長くつき合いのあった美術家村上善男との交流を綴ったもので、書簡や原稿によって、村上の人となりや、考えを語らせたいと考えたのである。美術家が没するまで多くの手紙をやりとりした。村上の送り届けてくる手紙や郵便物は、文章のかたちで表明された精神においても、また書簡や小包のかたちに込められた造形においても、実に美しかった。だから、すべて捨てずに取っておいたのである。もちろん、それが一冊の本に纏まるだろうなどとは、つゆほども思わなかったわけであるが。村上から教わった言葉に「荷姿」というのがある。いまや、郵便小包の時代ではない。ために、紐の掛け方にも、切手の貼り方にも、美学的な判断の介入する余地などなくなってしまった。しかし、「荷姿」には送り主の人と成りが現れる。だから心せねばならないのである。

西野嘉章(インターメディアテク館長、東京大学総合研究博物館特任教授)

絵画修復

 アカデミア内の壁面に設置している肖像画(油画)の内、2点が現在修復中である。アカデミア以外でも、インターメディアテク内には複数の肖像画が展示中であり、その中には修復を終えたばかりの作品も存在する。絵画修復の専門家により、クリーニング作業が進められ、状態の悪い作品については複数回、クリーニング作業を繰り返しつつ、カンバスの補強等も行われている。作業が進むにつれて、描かれた当初と近い色彩になり、随分と違った印象に変化してくる。しかしながら、修復前のイメージを覚えている人は少なく、大きな色味の変化に気づかれることは殆どない。これは修復が違和感のないよう順調に出来ているとのことでもあるだろう。絵画作品に限らず、展示中の標本については常に劣化を続けており、時間の流れに逆らい、それらを完全に止めることは出来ない。しかし、日々のメンテナンスや定期的な修復により、劣化のスピードを可能な限り遅くすることは可能であり、今後も継続的に進めていきたいと思う。

菊池敏正(東京大学総合研究博物館特任助教)

鳥類繁殖調査

 東京都鳥類繁殖調査に参加して、丸の内界隈の鳥類の様子を調査して来た。皇居ならいざ知らず、東京駅前や銀座に鳥なんかいるのか、と思われるかもしれない。だが、鳥はどこにでもいる。確かに多くはないが、都市とは、人間が勝手に考えているほど不毛な場所ではない。大手町オアゾから新丸ビルに向けて歩き、内幸通に入ったところで、スズメを見つけた。人間が歩いているすぐそばまで来て、しきりに鳴いている。口には何かをくわえている。そして、すぐ近くで「シリリ、シリリ」という声が聞こえる。この騒がしいのは、スズメのヒナだ。どこかにスズメが巣を作っていて、親鳥が餌を持って来ている。邪魔しないよう少し離れて見ていると、スズメはイチョウの枝の折れ口に開いた洞に潜り込み、また出て来た。ここがスズメの巣だ。この日、大手町から銀座まで約2キロを歩いて見た鳥は11種、84羽だった。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

インターメディアデザイン その二

 インターメディアテクをインターメディアデザインならしめている最たるものは、空間自体の体感性にある。よく「体験型…」と耳にするが、自身の行動的充足を促しているのではなく、ここでは感性への刺激的実感と捉えている。そこには物体性と空間性の両立があり、物体性を例えるなら、宝石や生物(ここでは標本であるが)は、カタログや図鑑で見るよりも実物を見る方が感動的であるし、空間性でいえば寺院や教会に実際に訪れることまた然りである。つまり、「見る」「知る」の前に「感じる」ということ。この両立がモノと対峙するだけにとどまらない視野を与えてくれる。さらには、窓から望む東京駅舎との親和性や高層ビル群とのコントラスト、また隣接する商業空間とのギャップは実際に訪れてみなければわからない。そんな「価値観」という名の違和感は「自分」や「現在」に対する客観的な眼差しを提示してくれる。

関岡裕之(東京大学総合研究博物館特任准教授)

モバイルミュージアム・ボックス

 2015年から16年にかけ、トヨタ財団の助成を受け、フィリピンにて移動型展示キットを制作した。箱の中に展示物を搭載してどこにでも出かけていき、蓋を開ければ展示が出来上がるというコンセプトをもつ「モバイルミュージアム・ボックス」は、ミンダナオ国立大学イリガン校等のキャンパス内で公開され、学生が日常の大学生活を送る中で、意図しなくてもミュージアムに接する機会を作り出した。重要なのは、プロジェクト期間終了後の展示キットの運命である。私のような外部の人間の関与や外部予算がなくなった途端に「モバイル」しなくなるようでは、現地の人たちにとって本当に必要とされていたとは言えない。フィリピン人の共同研究者とともに、展示キットの継続的な活用をいかに可能にするかを見据え、展示内容や箱のデザインの決定といった、本プロジェクトのさまざまな進行段階で、現地の人たちを巻き込むことをプロジェクト・デザインの柱にした。幸いにして、その後も、このキットはミンダナオ島内で「モバイル」しているとの報告が届いている。

寺田鮎美(東京大学総合研究博物館特任准教授)

生きるとは、行動することではない。呼吸することである。

 「お元気ですか」「はい。元気です。」 何気ない挨拶の言葉の中に「気」がある。儒教では、元気とは天地の間にあって万物生成の根源となる精気だそうだ。「気」という語が、「大気」や「気体」、「電気」や「蒸気」といった物質的な根源を表すものとして使われる一方で、「気になる」「気をつける」「気力」「気合」など、精神的な活動の表現としても使われる。この物理的世界と精神的世界を結びつけるものが呼吸であると言える。たとえば、キリスト教においてプネウマが神とその子を結びつける聖霊として現れる。東洋だけではなく、西洋、あるいは、それより広い世界で、息、気息は流れるものであり、世界を構成する要素を結びつけ、お互いのエネルギーとエントローピーの交換する役割を担っている。特に、生命と宇宙の根源をつなげるものとなれば、霊的な存在としてしばしば認識される。「生きるとは、呼吸することではない。行動することである。」と言ったのは、偉大な思想家、ジャン・ジャック・ルソーである。彼の時代は科学や市民社会の時代であり、行動が世界を変えようとしていた。しかし、そういう言葉を言わしめた彼の人生は、数奇で運命的であり、大きな時代の流れの中で、ルソーも、思う存分呼吸をしていたのだ。

森洋久(東京大学総合研究博物館准教授)

八角形の柱

 インターメディアテクの柱型は八角形である。KITTEのアトリウムにも八角形の柱とそのモチーフが残されている。なぜ八角形なのだろうか。一つの手がかりは当館のIMTロゴマークに示唆されている。1931年に竣工した旧東京中央郵便局は、相対する東京駅の配置に呼応して外壁が「へ」字型に折れている。45°屈曲したこの外形に対して、八角形の独立柱ならば向きを変えずに整然と配列できる。かたや1914年開業の東京駅には八角形の大ドームがあり、既往の計画でも45°の配置が生かされていた。「八角形」は中央郵便局が東京駅とうまく共存するための幾何学だったのではないか。あらためて展示室の柱を見上げると、八角形の一辺の長さと天井の梁幅が一致したスマートな納まりである。実用面においても、角が面取りされた柱は現業室での円滑な搬送業務に適していた。1階の現郵便局に立ち並ぶ黒大理石の八角柱は、逓信省技師の吉田鉄郎が敬愛したストックホルム市庁舎にも見いだせる。八角形の柱には、設計者のしなやかな合理主義と意匠へのこだわりが凝縮されている。

松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)

「キノコ」

 「コロナード」の什器に、キノコ標本が数点、並んでいる。一見、展示室に棲息しているのかと見間違うほどのリアリティを醸し出しているが、れっきとした人工物である。展示されている模型は、明治12年に初代山越長七が創業した山越工作所で作られたものである。使用されているムラージュ技法は、明治43年(1910)年頃、長男の山越良三(二代目山越長七)が、ウィーン大学で習得してきたものである。ムラージュ(日本語で鋳型の意)とは、蝋製模型のことで、雌型に蝋を流し込んで出来た立体物を彩色して作る。初代山越長七の方は紙製の人体模型を得意としていたという。したがって山越工作所では、紙製模型も蝋製模型もどちらも作れたはずである。蝋を選んだのは、本体から型をとれるという利点があったからなのかもしれないし、キノコの瑞々しさを再現するのに、紙より蝋の方が適していると考えたからなのかもしれない。ところで、あくまで個人的な感想だが、この写実的なキノコ模型、見て美しいとは感じるものの、美味しそうと感じないのが不思議である。もっとも、本模型はすべて毒キノコとのことである。

秋篠宮眞子(東京大学総合研究博物館特任研究員)

謹賀新年。

 国内外の多くの方々からご支援を賜り、一年を大過なく過ごすことができた。ここに迎える新しい年もまた、実り多き年になるよう願うばかりである。来る三月末、インターメディアテクは開館以来、五年目の節目を迎える。企画展、講演会、音楽会、上演会、ワークショップなど、多種多様なイベントに忙殺された月日であった。図録、目録、写真集、(不定期刊行)冊子を出版し、併せてグッズ開発もおこなってきた。支援と連携の環も着実に拡がっている。国内の篤志家からは、ジャズSP盤コレクション、蓄音機コレクション、自然史学標本コレクションの寄贈があった。国外からは歴史的展示ケースの寄贈、国有コレクションの長期ローンの実現があった。協働企画展の申し入れも各所から頂き、なかのいくつかは実際に海外展として実現した。海外からの来館者の評判も頗る良い。「入館無料」の文化施設、その公益性を外国人の方が高く評価してくださっているのである。今年も職員一丸となり、社会から付託された使命を全うしたいと思う。

西野嘉章(インターメディアテク館長、東京大学総合研究博物館特任教授)

劇場という教育現場

 9月に訪れたウプサラ大学博物館「グスタヴィアヌム」の建物は1620年代にウプサラ大聖堂の真向かいに建てられ、3世紀に亘って増築された。建物の象徴は、それとわかるドーム型の屋根である。そこには、1662年にオラウス・ルドベック(1630-1702年)によって構想された「解剖劇場」がある。今でもグスタヴィアヌムの玄関から石畳の階段を屋根裏まで上ると、来館者を唸らせる空間が見えてくる。中央に配置された解剖台を囲むように6列の階段席が段々にそびえている。階段席といっても、座る場所はないほど窮屈である。そこでルドベックらが一般公開の解剖を行うなか、階段席に立つ学生たちは吐き気を抑えつつ勉強し、最上階の特別席では上流階級のマダムらがパフォーマンスを観覧していた。解剖劇場の音響も特殊である。解剖台周辺の音は全空間に響くが、階段席から質問があったとしても中央からはよく聞こえない。インターメディアテクにも階段教室「アカデミア」が設置されている。教育現場の建築を考えるよいきっかけとなった。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

登り龍

 IMTの正面玄関から入った瞬間、目に飛び込んで来るのが、壁に直立する巨大な骨格だ。しばしば恐竜と間違われているが、ワニである。全長は7.6メートルほど。これはマチカネワニ、大阪大学吹田キャンパスを造成中に発見された化石のレプリカで、原野農芸博物館より寄贈されたものだ。マチカネワニは40〜50万年前、日本にも分布していた。現在はマレーガビアルと同じTomistoma属とされているが、提唱された学名の一つToyotamaphimeiaは、海神の娘であり、その正体が鰐であった豊玉姫にちなむ。日本では数十万年前に絶滅したマチカネワニだが、中国ではもっと後まで残っていた可能性はあり、有史時代になっても生存したとする意見さえある。水面を割って浮上する巨大なワニの姿が目撃され、龍の伝説を生んだかもしれないのだ。今、IMTの「龍」は天を目指すかのように設置されている。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

丸の内カラス事情

 丸の内には1ペアのハシブトガラスがナワバリを持っている。オフィスの窓から見えるので、時々観察している。丸の内なんてお洒落で小綺麗なところで、どうやって餌を取るのかと思っていたが、人が暮らしている限りゴミは出る。丸の内のカラスも、朝一番に北口のガード下辺りで何か拾って来たのを見かけた。このペア、一昨年は丸ビルのド真ん前に営巣したが、さすがにこれはすぐ撤去された。その次は換気塔の中に営巣したようだが、これも失敗したらしい。去年は東京駅の中に営巣したが、これも失敗。そして、今年はどこに営巣したのかさっぱりわからない。営巣しても営巣しても人間に「ここはダメ」と撤去されてしまうので、絶対に人間に見つからないような場所に巣を作ったのかもしれない。丸の内はカラスにとっては、あまり住みやすい場所ではないようだ。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

出版計画再構築中(2)

 いずれ単行本にしたいと考えているもののひとつが「対談集」である。対談の中味は、まったくもってバラバラである。もちろん、誰か相手のいる話であるし、また場を設定してくれた出版社の都合もある。ということで、その都度ごと、テーマに一貫性がないのは致し方ない。しかし、それにしても、と改めて思う。かくも多様な分野に頭を突っ込んできたとは我ながら驚きではある。好奇心に富むとか、関心領域が広いとか。たしかに、そのように言えば聞こえは良い。が、ありていに言えば、対談企画を持ち込む出版社の意のままに、なにからなにまで無節操に引き受けてきたことの結果なのである。話相手を眼の前にもつことで、普段の自分と違った世界へと誘われる。そこが対談の面白いところである。また、どのような喋り方をしているのか、自分にとって反省の機会にもなる。ということで、是非とも出版したいと思うのであるが、多人数にわたる対談相手の許可が得られるかどうか。そう考えると、やはり気の滅入る仕事ではある。    
                                                                         西野嘉章(インターメディアテク館長、東京大学総合研究博物館特任教授)

インビトウィーン・ワールド

 なぜ演劇創作プロジェクト「Play IMT」を続けるのかと自分に問うならば、この取り組みを始めた時から答えに変わりはない。死して動かない動物や人工物ばかりが並ぶミュージアムに、生きて動く俳優たちの身体が加わった時に生み出される新しい世界が見てみたい。インターメディアテクの空間と展示物とそこに集まる人々に着想を得た、ここでしか実現できない独自性ある創作活動をしてみたい。このような「演劇×ミュージアムの実験」に対する期待と意欲があるからである。演劇パフォーマンス『Play IMT (7)—インビトウィーン・ワールド』のタイトルに用いた「インビトウィーン」という言葉は、ミュージアムと演劇という「二つの世界をつないだ間に生まれてくるもの」を意味している。俳優という存在がそのための「媒介役」であることに注目してほしいという思いも、この言葉がもつ二重の意味に込めた。館内の天井に翻る布のインスタレーションと、肖像画の額縁の中に俳優がうつし出された映像インスタレーションは、このコンセプトを暗示する仕掛けとなっている(12月3日まで公開)。

寺田鮎美(東京大学総合研究博物館特任准教授)

たかが展示、されど展示

 展示づくりに携り30年以上になる。「展示とは何だろう?」、こうしたことに自問自答する機会も増えた。展示は文字通り、展(ひら)き、示(しめ)すこと、つまり、しまい込んでいたり、畳んでいるものを表に出して露わにすることが基本である。そういう意味ではただ単に収蔵庫にある標本を展示室に持ち出して解説を施すことも展示である。しかしながら「展示」は見せ方如何によって観覧者に対する訴求力が大きく変わってくる。ある意図をもって(コンセプトといってもよい)伝えたいメッセージを最適な見せ方で展示すると、感じてもらえるものが大きく違ってくる。当館本館では「オープンラボ」と銘打った展示を行っている。収蔵がテーマであり、その導入部ではガラス張りの収蔵庫を象徴的に配置している。そこでは収蔵庫らしく雑然としながらも標本の存在感を高めるにはどうしたらよいか、そんなことをあれこれ構想した末のかたちを展示に仕立て配置している。

洪恒夫 (東京大学総合研究博物館特任教授)

溶接のこと

 日ごろからご来館誠にありがとうございます。こっそり始まりました研究者コラムお楽しみ頂けてますか? 華の無い画像で大変恐縮でございますが真鍮の什器、館内で展示物を載せているアレ、の製作を本郷本館の地下でしている様子です。什器は、載せる物の固定・転倒防止をし展示物の保全のためもありますが、載せる展示物の魅力をそっと引き出だす目的もございます。ご観覧される方に自分からどんどん魅力を主張できる展示物もありますが、その一方それらの陰に隠れてなかなか自分を主張できない展示物もございます。そんな主張の弱い展示物の背中をそっと押すような気持ちで製作した什器に載せております。ご観覧の際は、そんな展示物にも目を留めていただければ幸いです。なので 什器としては、“自分が目立たない”のが正解、注目されたら負けなんです。※ロウ付けのため真鍮の部材をステンレスの針金で仮留めします。耐火ブロックは、直前に粉砕しました。

中坪啓人(東京大学総合研究博物館特任研究員)

エアトン教授の机 <東京大学 木製什器1>

 インターメディアテクの窓辺にひっそりと佇んでいる木製の机がある。この机に近づくと自らの身体感覚によって、ほんの僅かな違和感を感じ取ることができる。この机は、1873年にイギリスより工部省工学寮工学校に招かれた世界最初の電気工学教授、W・E・エアトン教授が自ら設計し大工が製作した執務机である。床から天板まで780mm。インターメディアテクでは、東京帝国大学・東京大学の講義室や研究室で使用していた木製机を収蔵展示しているが大半は床から天板まで755mmである。2017年現在、大手家具メーカーで販売している既製品のオフィスデスクは天板まで720mm。自分の身体に合う家具の身体性とは、想像を越える心地良さに集中力は増すばかりであろう。「身体」つながりでいうと、エアトン教授と一緒に来日した夫人のM・C・エアトンは医学研究者で滞在中に『日本人の体格と身体の形成』という論文を書いているのが興味深い。時代を超えて、この机から様々な身体性に馳せる時が味わえる。

上野恵理子(東京大学総合研究博物館特任研究員)

イギリスと日本の漆

 2017年5月より、ロンドンに滞在し研究活動をおこなっている。ヴィクトリア&アルバート美術館にて、イギリスにおける油性塗料と漆の比較研究をするためである。とりわけ、18世紀頃に、西洋で流行した「ジャパニング」と呼ばれる漆を模した油性塗料は興味深い。ロンドンでは調査に加え、日本から様々な材料を持ち込み、現地で調達した材料と合わせて、実験的な制作も進めている。この度、制作物の一つが同美術館にて開催される「Lustrous Surfaces」展に展示される事となった。本展覧会は、日本、中国、韓国おける漆器を含む作品の表層に着目した展覧会である。日本の風土に適した素材とも言える漆をイギリスで使用することに、多少の不安も感じつつも制作を進めたが、特に問題もなく乾燥する漆を見て、改めて素材の強さを実感している。まもなく滞在を終え日本に帰国する予定である。日本食が恋しくなる一方、いささか名残惜しい部分もある。

菊池敏正(東京大学総合研究博物館特任助教)

鏡の中の自分はなぜ左右が逆さ?

 理科の先生にこんな質問をして困らせたことがあった。理科の先生は、光の反射の対称性を懇切丁寧に説明してくれたのを記憶している。しかし、問題が対称であればあるほど、上下が逆さにならず、左右だけが逆さになるという非対称性に矛盾を感じるようになるばかり。しかし、数日たってほどなく、理科の先生に質問したのは誤りであることに気づいた。国語の先生に質問するべきだった。問題は光の原理にあるのではなく、「上・下」と「左・右」という二つの言葉の性質の違いにあることに気づいた。「上・下」は自分が見ている方向によらず、常に方向が保たれる絶対的な性質をもつ語である。一方、「左・右」は、見ている方向に基づき、方向が決まる相対的な性質を持つ語である。改めて鏡をのぞきこむと、鏡は、本来物理的には左右を逆さにするものではなく、前後を入れ替える道具であり、前後が入れ替われば、その言葉の性質によって自ずと左右が入れ替わる。「私から向かって右」というように、前方を明示的に規定すれば、鏡の中でも入れ替わることがない。少々気張っていうならば、物理学的な問題は往々にして言葉の問題であったりするものだ。

森洋久(東京大学総合研究博物館准教授)

富士山の雲、ウプサラの雲

 先月、スウェーデンのウプサラ大学博物館「グスタヴィアヌム」にて特別展示『雲の計測――阿部正直が見た富士山』を設営してきた。富士山の山頂に現れる雲を絶え間なく撮影し、その生成過程と種類を分析し続けた阿部正直(1891-1966年)の先駆者は、実はウプサラにいた。1896年にパリで初めて出版された『国際雲アトラス』は、ウプサラに研究拠点を置いていた気象学者ヒューゴ・ヒルデブランド・ヒルデブランドソン(1838-1925年)の主導のもとで構想された。今でも日本の雲を見慣れた目でウプサラの秋の空を眺めると、独特な広がりと濃度を持つ雲が目立つ。雲はどこでも雲であるが、地域によってその形が限りなく変化しているように見える。19世紀末にヒルデブランドソンとともに世界各地の雲の共通点を探り、普遍的な雲の定型を定めたラルフ・アバークロンビーやアルベルト・リッゲンバッハの斬新な着想と偉大な計画に改めて感心した。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

インターメディアデザイン その一

 おそらく多くの研究者がそうであろう。私の場合は自身について名告るとき、まず“デザインの研究を…”と述べる。誰もがわかるその語句と曖昧模糊としたその語意に、消化不良でもあれば “デザインの研究とはなにか?”と問われる。矢継ぎ早に“様々なデザインの…云々”と補足こそするが、内容に踏み込むほどに難解にもなりかねない。むしろ、名刺代わりに展示室を一巡りするのがいちばんだ。“百聞は一見にしかず“でなければ相手にとって得られるものは何もない。デザインの仕事を物証なしに語ることはほぼ不可能だからだ。インターメディアテクに存在するデザインを私は「インターメディアデザイン」と称している。元来デザインの領域とは、まるで星座のごとく形成されるもの。ひとつのジャンルで語ることはできない。あらゆるジャンルを架橋する、あるいは統合する、それがすなわちインターメディアデザインである。

関岡裕之(東京大学総合研究博物館特任准教授)

阿部正直のガラス乾板写真

 昭和初期の気象学者阿部正直のガラス乾板を整理している。概ね縦120mm、横164mmのキャビネ判約1840枚のほか、手札サイズ335枚がある。阿部が昭和3(1928)年から16年にかけて御殿場から撮影した富士山にかかる雲の記録写真の他、著書や論文の図版に使用した撮影器具・計測器具の写真、気流実験の写真などである。状態は良好で、簡単なクリーニングをし、スキャナーでスキャンをしている。現在約1680枚のスキャンを終えた。その後フォトショップで角度を直し、白黒を反転させる。1枚あたり計10分ちかく要する根気のいる作業だが、反転させて現れる写真は自然の織りなす美しい造形の数々であり、霊峰富士の名に相応しい雄姿をみせてくれる。阿部正直が富士山と千変万化の雲に魅せられたのも肯首できる。

白石愛(東京大学総合研究博物館特任助教)

建築の記憶

 建築の記憶を一つの造形物にまとめたらどうなるか。その実験試行として制作した模型である。古代エジプトから現代までのさまざまな建築を立体的にコラージュし、3Dプリンタで出力している。カルナック神殿、パンテオン、ランス大聖堂、東大寺南大門、桂離宮書院、サヴォア邸、森山邸など作者の記憶に残る内外30以上の建築が、おおむね古い順に下から組み上げられた。ファサード、外観形態、内部空間、骨格構造といった、その建築の特徴的な部分を縮尺1/300で表現している。建築単体を再現した「縮小模型」、建築の部分を抽出した「空間標本」に続く、建築を集成統合する第三の模型表現の試みである。ここで選択された建築群は、建築史の流れを網羅的にカバーするものではない。しかし時代の推移とともに、建築の物象においては量塊的なものから繊細なものへ、空間においては閉じたものから開かれたものへ、という大きな変化の流れが見えてくる。(模型『建築の記憶』は東京大学総合研究博物館小石川分館で常設展示中)

松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)

インドに咲く花、あるいはインドに散る花

 特別展示『植物画の黄金時代—英国キュー王立植物園の精華から』の会場で、注目していただきたい植物画がある。イギリス人植物学者がインドで現地の画家を雇い入れて描かせた「カンパニー画」である。この呼称は、絵画制作の依頼主がイギリス東インド会社(=カンパニー)社員であったことに由来する。インドとヨーロッパとの混合様式である、とその絵画様式の特徴を一言で説明はできるものの、ムガル帝国が没落し、イギリスが商業的・政治的にインド支配を進めた当時の社会状況からわかるように、両者は決して対等な関係ではない。主観的な印象を述べることが許されるならば、ヨーロッパの自然主義的表現を求められたインド人画家の筆先から、封印したはずの自分のルーツとなる伝統的美意識が図らずもほとばしり出た瞬間が留められているような気がする。そのような名もなきインド人画家を主人公にした小説をいつか書くとしたら、「インドに咲く花」というタイトルにしようか。いや「インドに散る花」がよいか。植物画を前に、想像の花も開いた。

寺田鮎美(東京大学総合研究博物館特任准教授)

IMT特別展示「植物画の黄金時代—英国キュー王立植物園の精華から」に寄せて

 キュー王立植物園より28点の植物画を借りて、展示を行うことになった。植物園というと、緑あふれる憩いの場を想像する人も多いに違いない。しかし、キューがキューたるゆえんは、大規模な研究機関として存在感を示し続けていることにある。古くから植物に関する豊富な資料を蓄積してきており、植物画もその一部である。植物は、乾燥させて標本にすると、本来の色彩や立体感を失う。乾燥標本も情報を残す貴重な手段であり、見た目にも美しいとはいえ、「植物の素顔」を後世に伝えようと思うなら、植物画家の技に頼らざるを得ない。白の紙を背景とするなど、一定のルールに基づき、紙面という限られた空間に、どう植物を配置し情報を散りばめるか、そこが工夫のしどころである。「生きている植物」をいきいきとした姿で伝えるのが植物画だ。本展の図録表紙やポスターに使われている、著名な植物画家ゲオルク・ディオニシウス・エーレト(1708-1770)のチューリップ図を見れば一目瞭然だろう。まさに平面から飛び出して来んばかりではないか。

秋篠宮眞子(東京大学総合研究博物館特任研究員)

「ジャズ・ディスコブラフィー」の迷宮

 2013年から蓄音機音楽会を定期的に開催している。その間「湯瀬哲コレクション」のデータベース化に向けてSPレコードの整理を進めてきた。SPレコードのシングル盤約5000枚、アルバム約380冊を含むコレクションは、インターネットのない時代に個人によって構築されたとは思えない。現物を見ながらレコードの各面に収録されている曲の録音情報を調査し、データとして纏めると多くの発見がある。湯瀬氏がレコード蒐集に没頭していた時代は、個人の調べそして国内外のアマチュアとの文通がジャズ史に関する基本情報を得る唯一の方法だった。しかし主要大学に「ジャズ・スタディーズ」部門が設立されている現在、レコードのデータ目録に「ビッグ・データ」が導入されつつある。万単位でレコード情報を分析すると、戦後日本におけるジャズ市場の動向や流通状況が見えてくる。今まで静かに佇んでいたコレクションの個々のレコードの間に、新たな関係性が生まれつつある。

大澤啓(東京大学総合研究博物館特任研究員)

夏鳥の季節

 インターメディアテク(IMT)のStudiolo(収蔵展示室)には多数の鳥類剥製がある。階段を上がった正面に見える部分は、山階標本の定位置であり、当館の「顔」の一つであろう。IMTのオープン以来、この鳥たちの配列は変化し続けている。分類群で並べるか、色味や見え方を意識するか、何かテーマに沿って配置するか、それは我々の意図であり、企画であり、時に遊び心である。今、Studioloの角、オナガドリの左側部分には、夏鳥が到来中だ。キビタキ、オオルリ、サメビタキ、コチドリ、コアジサシ、アオバズク、ヒメアマツバメ、ショウドウツバメ、オオヨシキリなど、東南アジアから飛来して日本で繁殖する鳥たちが並んでいる。棚の上の、ライオンのようなタテガミを持った2羽は、渡りの途中で日本に立ち寄ったエリマキシギ。残念ながら日本ではこの繁殖羽をまとった姿は見られないが、せめて、標本で確認して行って頂きたい。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

鳥たちの森

 インターメディアテク(IMT)の大階段を登りきったところに広がるガラス張りの収蔵展示室、それがStudioloである。ここには山階鳥類研究所よりの寄託、(旧)老田野鳥館よりの寄贈を含む鳥類標本約500点が収蔵されている。一部では京極夏彦氏の小説になぞらえて「由良伯爵の部屋」と呼んで頂いているようだが、デスクと椅子とタイプライターと羽ペンもあって、確かにそんな雰囲気はある。デスクは法学部の教授室備品だったもの、タイプライターも学内でかつて使われていたローヤル製のものだ。私の中で、あのデスクは「先生の机」であり、姿を見せない謎の教授がいる、という設定である。先生は今、日本産の鶏の一品種である天草大王の標本を山階鳥研から借りて研究中らしい。足にまで生えた正羽が特徴だ。机の上にはハシブトガラス(骨格)も止まっている。なお、羽ペンは私が先生にお貸しした。

松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授)

出版計画再構築中(1)

 この三月末で定年を迎えた。インターメディアテクの館長職はいま少し継続することになった。博物館勤務は都合二十三年になるが、その間、傍らに置き去りにしてきた関心事がいくつもある。ひとつは「十五世紀プロヴァンス絵画史研究」と「キリスト教図像学」の宗教美術研究。この研究課題では、戦前の日本人の残した南仏古画紀行の先見性、宗教美術における「ことば」と「イメージ」の相関性、美術作品に有する物理的な組成など、語りたいことが山ほどある。しかし、出版環境は絶望的である。部数のでない専門書の出版を敢えて引き受ける、勇気ある書店がどこにも見当たらないからである。この点では、欧米の方がいくらかましかも知れない。売れない本は出さないとの考え方に違いはないが、しかし、内容が有意であると見れば、少部数の刊行に踏み切ってくれるところもなくはないからである。問題は論法を欧米風に切り替えねばならないこと。これがかなり大変、と言えば大変である。

西野嘉章(インターメディアテク館長、東京大学総合研究博物館特任教授)