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研究者コラム

内科講堂の独逸人教師肖像写真 余話
A Side Story of Photographic Portraits of German Teachers

 特別公開『独逸医家の風貌』(2022年9月13日−12月11日)の企画を構想するに至ったきっかけの一つは、東京大学医学部附属病院内科講堂にかつて掛けられていた独逸人教師の肖像がなぜかくも大きなサイズの写真なのか、そしてそれがいつから掲げられるようになったのかと考えたことだった。総合研究博物館所蔵三宅コレクションに、明治初年代に横浜で撮影されたホフマンの名刺版肖像写真がある。この像が内科講堂の肖像写真と同じであることから、内科講堂の肖像写真はこの名刺版写真を拡大複製したものという推測がついた。しかし、三宅コレクションのホフマン肖像裏面の彼の自署と、拡大複製写真の右下に添えられた自署は同じ筆跡ではあるが、厳密に同一ではない。おそらく同じ肖像写真がどこかにあり、それから複製が作られたのだろうと予想される。この手がかりとなりそうな記事は見つかっている。入澤達吉は、昭和9(1934)年6月に発表した記事「明治初年来朝の独逸人教師と其写真」(『中外医事新報』1208号)のなかで、昭和8(1933)年秋、大学構内にミュルレルの銅像はあるが、ホフマンは写真すら掲げていないとの話になり、ホフマンに直接教えを受けた卒業生で存命の二人に尋ねてその肖像写真を手に入れたと述べている。その写真は横浜の外国人の写真店で撮影したもので、二枚とも裏にホフマンの自署があったという。本記事に掲載された図版の像も見比べて、二枚が三宅コレクションのものと同じ肖像写真であると判断できる。入澤は、ウェルニッヒの写真についても方々に尋ねた結果、ようやく故・宇野朗所蔵のアルバムに見つかり、この同じアルバムからシュルツェの写真も借用して複写をしたと語る。本記事の図版にある、入澤が入手したウェルニッヒの肖像写真は内科講堂に掛けられていたものと同じ像である。関東大震災の復興キャンパス計画により、内科講堂の入る建物が竣工するのは昭和13(1938)年であるから、この時までに入澤が探して手に入れたホフマンとウェルニッヒの肖像写真から拡大複製が作成され、二人に先んじて震災以前の内科講堂に明治期より掲げられていたベルツの肖像写真(明治42[1909]年の卒業記念写真帖に確認できる)とともに、これらが新内科講堂の壁面に並べられたと考えておかしくない。あとは物証が見つけられないかというところである。

寺田鮎美(東京大学総合研究博物館特任准教授)
Ayumi Terada

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