JPタワー学術文化総合ミュージアム インターメディアテク
HAGAKI
研究者コラム

『Intermedia』発刊記(1)

 学術文化総合ミュージアム「インターメディアテク」(IMT)の創設を目指し、本格的な準備作業に取り掛かったのは二〇〇九年四月のことであった。真っ先に手掛けたのは、「IMT」のロゴの作成と、レターヘッド、封筒、名刺など、必要な備品の用意であった。それに続いたのが、企画構想を内外に伝えるための広報誌の制作発行であった。広報誌出版の計画は、大概のところ次のようなものとなった。誌名は『Intermedia』とする。二〇一二年に予定される施設竣工までの三年間に都合六冊を刊行し、それらが出揃った段階で帙に収め、六冊ひと揃いのセットとする。竣工後は、定期刊行物として発行を継続するか、館内で開催されるイヴェントに合わせて逐次発行するか、そのいずれかとする。判型はA三判とし、各号二十頁から三十頁を見込む。各号ごとに使用言語を変える。創刊号はフランス語、第二号は中国語、第三号は英語、第四号はハングル、第五号はロシア語ないしイタリア語、第六号は日本語とする。最終号を別として、各号毎に日本語の翻訳を付し、適宜、英語等の翻訳も付す。各号ごとに特集テーマを変える。創刊号は「インターメディアテク」の基幹主題となる「アート&サイエンス」の特集号とする。第二号は「博物学」、もしくは「標本」か「コレクション」、第三号は「建築」として、旧東京中央郵便局舎を特集する。以下は未定。ただし、第六号は「インターメディアテク建設への歩み」(仮称)とし、施設建設のドキュメント・ファイルとする。発行部数は創刊号千五百部とする。国内外のマスコミ、関係諸機関、関係各位に宣伝媒体として送付し、残部は施設竣工後、ミュージアムショップにて販売に供する。広報誌は概ね上記のガイドラインに沿うものとなったものの、露語版、伊語版が実現せず、千五百部発行も貫徹できなかった。これは贅を尽くした雑誌発行にありがちなことと受け止めている。バウハウスのそれを彷彿させるポスターの制作が、それを補うものとなった。

西野嘉章(インターメディアテク館長・東京大学総合研究博物館特任教授)
Yoshiaki Nishino

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