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研究者コラム

三宅秀宛書簡集成(2)――楢林建之(1862-1932)

 三宅秀の父艮斎(1817-1868)は天保年間に長崎でシーボルト門弟の楢林栄建(1801-1875)のもとで蘭方医学を学んだ。楢林家は代々オランダ通詞で、蘭商館医に学んだ楢林鎮山(1648-1711)が楢林流外科を創始した。書簡は秀が問い合わせた豊後国日出(ひじ)藩の砲術家関讃蔵についての回答である。讃蔵は日出藩家老の関勝之の長男で、建之の養父建吉(1832-?)の兄にあたる。讃蔵は長崎で高島秋帆の下役山本物次郎について「火技研究・大小砲製造・築城・築砲台及蘭書ノ翻訳製図ヲ為シタル人」とある。山本物次郎は「蘭人ニ就テ大小砲戦術及火技ヲ研究、当時長崎ニテ一二ヲ争フ人物」と記されている。山本家には福沢諭吉が食客として住み込んだことでも知られる。安政5年(1858)に英医ホブソンの中国語の西洋医学書『西医略論』を関讃蔵編集、桃樹園(艮斎)蔵板で翻刻していることから、秀が編集者の讃蔵について調べたものと推察される。なお、三宅コレクションには楢林家から贈られた「伝シーボルト使用の皿」がある。

白石愛(東京大学総合研究博物館特任助教)

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