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HAGAKI
研究者コラム

モダンへの架け橋
A Bridge to Modernity

 オットー・ワグナー(1841-1918)はウィーンを中心に活躍したオーストリアの建築家である。ウィーンでは皇帝フランツ・ヨーゼフの勅命で旧市街地を囲う城壁が撤去され、19世紀後半に大規模な都市改造が行われた。リングシュトラーセという環状道路を新設し、拡張された都市域にモニュメンタルな建造物を配していった。ワグナーはウィーンの建築都市の計画や建設、そして鉄道インフラの整備にも関わった。彼の主著に『近代建築』(MODERNE ARCHITEKTUR、初版1895年)がある。ウィーン美術アカデミーの教授に就任したワグナーの講義をまとめたもので、「建築青年に与えるこの芸術領域への手引き」という副題がつけられている。建築家、様式、構成、構造、芸術実務についての心構えが説かれているが、このなかに「芸術は必要にのみ従う」(Artis sola domina necessitas)という有名な言葉がある。ゴットフリート・ゼンパーの『様式論』に由来する考えで、現代の要求に合致した合理的な建築への到達を若者に訴えている。ワグナー自身は歴史主義的な建築から出発し、ウィーン分離派を経て、機能的・合理的な方向へとシフトしていった。その晩年の代表作がリングシュトラーセの東端にたつ「オーストリア郵便貯金局」(1906年)である。ここには「表層」と「空間」の革新的な表現がある。外装の大理石板は装飾リベットを付して非構造要素であることを明示している。建物の中央ホール「カッセンハレ」は、屋根の全面をフロストガラスの天窓で覆い、床にガラスタイルを敷き詰めた前例のないアトリウムである。20世紀の到来を告げる高度に抽象化された光の空間は、それでもなお、ワグナーの歴史意匠や様式装飾への習熟の痕跡を感じさせる。歴史主義からモダンへの架橋のさなかに、見る者の心に迫る何かがある。写真はカッセンハレ周辺を抜き出した部分模型(空間博物学展の「20世紀の建築」で展示中)。

松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)
Fumio Matsumoto

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