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研究者コラム

蘭の趣味と絵葉書

 近代日本の工学分野で活躍した田中林太郎・不二・儀一の三代ゆかりの資料群「田中儀一旧蔵品」には、工学系以外の分野の資料も多数含まれている。特別展示『蘭花百姿−東京大学植物画コレクションより』の関連展示物を考えている時に思い出したのが、その中の春蘭の絵葉書であった。これは、帝大工科教授を務めた田中不二が意匠を手がけ、東京神田にあった最古参の有名絵葉書商の一つである上方屋平和堂を発売元として、1906(明治39)年に刊行した『花繪はがき』第三集のなかの一枚である。春蘭の他に、唐菖蒲、香(ニオイ)アラセイトウ、朝顔、菊、香菫菜(ニオイスミレ)の絵葉書がセットとなっている。身近に楽しむさまざまな花の一つとして、蘭が親しまれていた様子がここに窺える。専門の機械設計に留まらないデザイン分野に広く関心を寄せていた不二であるが、この絵葉書制作は、「F、T、生」のペンネーム使用からも、玄人跣の道楽といったところだったのだろう。葉書は日本では明治以降に導入された郵便制度により普及し、1900(明治33)年に私製の絵葉書発行が許可されると、絵葉書制作や収集は一般にも大流行した。表紙のデザインにアレンジして用いるほど第三集のなかでは春蘭の意匠が特に気に入っていたのか偶然かはわからないが、翌1907(明治40)年の息子・儀一の誕生日を祝うために出張先で不二がメッセージを書き入れた同絵葉書が、儀一の絵葉書コレクションアルバムの中に見つかった。1902(明治35)年の法制定により満年齢計算が導入され、一人一人の誕生日という考え方が浸透していくのは日本では明治以降のことである。人々がいかに蘭を愛でたかという趣味の一例として取り上げた蘭の絵葉書からは、ある帝大工科教授の人物像から、私製絵葉書の流行や誕生日祝いの習慣といった近代に登場する文化動向までもが付随して見えてきた。本特別展示は9月26日まで。

寺田鮎美(東京大学総合研究博物館特任准教授)
Ayumi Terada

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