JPタワー学術文化総合ミュージアム インターメディアテク
HAGAKI
研究者コラム

二〇二二年三月三一日に
On March 31st, 2022

 本年正月に齢七十を迎え、来る三月末日をもって退職することになる。思えば、弘前大学で十年、東京大学で二十九年、都合三十九年に亘る教員生活であった。北奥羽から東京への転勤、大学から博物館への移籍、教室教官からミュージアム・スタッフへの転職は、それまで美術史学を以てすべてと認じていたわたしの関心領野に、飛躍的な拡張をもたらし、新たな活動領域への展望を拓く契機となった。着任時の職場は「東京大学総合研究資料館」であった。全学共同利用機関として位置づけられる施設ではあったが、事実上、旧理学部の強い影響下にあり、動物、植物、鉱物、地質を専門とする研究者の多く行き交う場所であった。そのため、美術史学の習いとして文献渉猟、美術逍遙を専らとしてきたわたしは、既存のコレクションの保存管理活用においても、学内外における学術標本の取得収集活動においても、およそ経験したことのない営みのなかに身を置かざるを得なくなった。こうした未知の環境下に迎え入れられたときには、好奇心の赴くまま、自然体で生きるにしくはない。所謂「アマチュアリズム」なるものも、そうそう悪いものではなかったのである。もちろん、ときに失態を演じることもあり、それはそれで苦い思い出として残っている。しかし、「知らぬが仏」の強みも、なくはなかった。専門家の到底なし得ぬ大胆な取り組みを、実現に至らしめることができたからである。美術史学だけでなく、数学、植物学、歴史学、情報科学、博物館学など、異なる専門分野の学会誌に査読論文を掲げることができたのも、博物館に身を置いていた御陰であった。資料館からの改組にあたっては、ユニヴァーシティ・ミュージアムという、国公立の博物館とも、私立のそれとも異なる、「第三種ミュージアム」の位格を確立し、そこでの研究教育の基盤となる学術標本コレクションの再評価を促したいと考えた。また、小石川植物園にある旧東京医学校本館を博物館分館へ転生させるにあたっては、ハコモノの大きさ、イヴェントの集客力ばかりを指向するメガ・ミュージアムの対極にあるものとして、静謐さ、親密さ、美麗さに包まれたマイクロ・ミュージアムを、二十一世紀新世代の性向、感性に適う文化創造装置として現出させたいと願った。そして、足かけ十四年に亘って関与することとなったインターメディアテクでは、東京大学と日本郵政グループを産学協同で架橋し、それまで誰も眼にしたことのない博物学的世界のパノラマ景観を東京の表玄関の丸の内に定置させようと思った。たしかに、職業上の専門は何かと問われれば、答えに窮するような立ち位置のままに過ごした教員生活であった。しかし、自分の抱く世界観を、コレクション、展示、出版を通じて物象化してみせるという、類い稀な経験を重ねることができた。このことを改めて幸せに思う。いずれのプロジェクトにも、博物館職員はもちろん、学生・院生を含む学内外の多くの方々からの有形無形の支援があった。そのことに対し、この場を借りて心よりお礼を申し上げ、退職の挨拶としたい。

西野嘉章(インターメディアテク館長・東京大学総合研究博物館特任教授)
Yoshiaki Nishino

コラム一覧に戻る