JPタワー学術文化総合ミュージアム インターメディアテク


特別展示『あるペンギンの辿った歴史』

2014.01.19-2014.03.02
STUDIOLO

 山階鳥類研究所よりインターメディアテクに寄託された1体の剥製標本の由来が、新たに明らかとなった。この展示を通じ、人々が「極点征服」を目指した時代やペンギンの生物学的特徴、そして、この1羽のペンギンが辿った歴史に想いを馳せていただければ幸いである。

 帝国陸軍中尉であった白瀬矗(しらせ のぶ、1861—1946年)は明治43(1910)年に南極探検隊を組織し、同年10月29日に日本を出発した。当初の目的は世界初の南極点到達であったが、彼らが南極に到着した時、ノルウェーの探検家アムンゼンが既にこれを達成していた。白瀬隊は目的を学術調査に切り替え、45羽のペンギンを含む標本を採集し、日本に持ち帰っている。
 書記官であった多田恵一の手記によると、白瀬らは明治44(1911)年2月17日に南緯47度52分、東経175度4分のニュージーランド沖合にて1羽のペンギンをタモ網で捕獲している。一行は3月10日に死亡したこの個体を仮剥製として日本に持ち帰り、本剥製に作り直した後、南極探検を後援していた大隈重信伯爵を通じて明治天皇に献上した。これは日本人が初めて南極海域で捕獲し標本としたペンギンであったと考えられる。
 当初、この鳥はアデリーペンギン未成鳥と考えられていた。その後、標本は皇居内に昭和3(1928)年に設立された生物学御研究所に保管されるが、ここで台座に貼られたラベルにはイワトビペンギンの学名が記載されている。しかし、捕獲年や捕獲場所に関する記述はなされていない。1995年に来歴不明のまま山階鳥類研究所に移管され、2013年にインターメディアテクに寄託された。
 2013年に当館にてペンギン研究家である大島潤一・ひとみ夫妻が調査を行い、献上時の書類や標本台座裏に貼られた内廷掛印(宮内省の受入印)を確認、さらに残された生前の写真と比較を行った。これにより、この個体こそが白瀬隊によって持ち帰られ、献上された標本であると判明した。また、手記に記された捕獲場所およびフリッパー(翼)下面前縁に黒色部があることから、イワトビペンギンではなくシュレーターペンギンであることを山階鳥類研究所が確認した。捕獲から実に102年後のことである。
 本標本は未成鳥と思われ、特徴的な冠羽が伸びていない。脚は肉色の筈だが、本標本は黒い。これは標本作製時に黒色に塗られたか、あるいは塗料の変色によるものと思われる。全体の姿勢はペンギンというよりアビやウのようで、見たことのない鳥の標本を作製した剥製師の苦労が忍ばれる。

主 催:東京大学総合研究博物館

協 力:財団法人山階鳥類研究所+人鳥堂本舗

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