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HAGAKI
RESEARCHERS COLUMN

ゲンゲ(マメ科)

 森鷗外の自伝的小説『ヰタ・セクスアリス』では、主人公の哲学講師・金井湛が六つの時からの回想が始まるその冒頭に、中国地方の城下町の屋敷隣の空き地で、主人公がげんげを摘む場面が出てくる。「僕はげんげを摘みはじめた。暫く摘んでいるうちに、前の日に近所の子が、男の癖に花なんぞを摘んで可笑しいと云ったことを思い出して、急に身の周囲を見廻して花を棄てた。幸に誰も見ていなかった。」この直後、空き地を隔てた後家宅で、主人公は初めて春画のようなものを目にする。しかし、幼い少年にはわからないから発情することもない。「性」は生まれつきというが、それよりも「男の癖に」という、今で言うところの「ジェンダー」の方が早くから自己意識化されていたということを鷗外が描いているのである。本作は、雑誌『スバル』の掲載号が発売禁止処分を受けるという波紋を広げたことでも知られるが、それは鷗外が当時、軍医総監の立場にあったゆえの批判(社会的地位にある男としてけしからんということか)への対応とも言われている。この発禁事件の数ヶ月後、『予が立場』にて、軍医総監と文学人という二つの立場の葛藤の結果、鷗外が「レグナチオン(諦念)」を表明するのも、げんげ摘みのシーンの描写からつながっているのかもしれないと思える。植物画家・山田壽雄が描いた本写生図の裏面には、「明治45.5.19 Toshi レンゲサウ.(自宅培養)」との書付がある。この記載から、本図の制作年月日と、写生対象が山田の自宅で花を咲かせたものであることがわかる。『ヰタ・セクスアリス』の出版は明治42年であり、鷗外は明治25年から駒込千駄木町の観潮楼に居を構えていた。山田は妻・順子と結婚した明治44年から駒込浅嘉町に住んでおり、本図の制作された明治45年は春に山田の長女・桃子が生まれた年なので、この年も浅嘉町にいたと考えられる。ゲンゲというモチーフでたまたま結びつけた二人は、同じ頃、互いの住居が本郷区内でもかなり近いところにあったという事実に気がついた。

寺田鮎美(東京大学総合研究博物館特任准教授)

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