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HAGAKI
RESEARCHERS COLUMN

画工の居場所

 東京大学に雇われた画工は、いったい学内のどこで絵を描いていたのだろう。以前から画工の制作現場が気になっていた。同大理学部生物学科に学んだ海藻学者・岡村金太郎は、自身の学生時代を追想した文章を残している(「青長屋―本邦生物学側面史」『科学知識』1922年6月号)。これはそこに載る挿図の一つで、1885年頃の通称「青長屋」と呼ばれた理学部生物学科の見取図である。岡村は当時の植物学教室を「助教授其他書記画工助手などの共同して居る大広間があつて、其処で事務も取れば研究もし、応接もし、雑談もすると云ふ訳であつた」としている。寒くなると大広間にストーブがあったので、学生も教授も皆がそのまわりに集まり、打ち解けた団欒のあたたかみがあったともいう。この見取り図をよく見ると、「松村」(当時の助教授・松村任三)の横に「画家」の机が置かれている。教職員や学生が採集してきたばかりの植物が画工に手渡され、それをすぐさま画工が写生することや、描画対象となる植物についてひとしきり話し込む場面もあったのではないか、とつい想像したくなる。

藏田愛子(東京大学総合研究博物館特任研究員)

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