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HAGAKI
RESEARCHERS COLUMN

ブルーノ・タウト

 高崎の碓氷川を臨む少林山達磨寺の境内に「洗心亭」という建物がある。もともとは東京帝国大学の佐藤寛次教授の別荘として建てられた2間(6畳・4畳半)の庵である。ドイツの建築家ブルーノ・タウトは、パートナーのエリカ・ヴィティヒと共に、2年2ヶ月をここで過ごした。タウトは表現主義的モニュメントや集合住宅の設計で知られる気鋭の建築家であったが、ナチス政権の台頭により逃亡を余儀なくされた。1933年5月から約3年半にわたって日本に滞在し、その間、日本の文化や美について多くの論考を残した。日光東照宮と対比して桂離宮を賞賛したことはよく知られており、また新しい建築では東京中央郵便局(現KITTE)を高く評価した。タウトの著書『日本の家屋とその生活』の仔細な観察からは、洗心亭での慎ましい生活を心から楽しんでいたことがうかがえる。「貧は今でも日本人には無意識的に一種の理想的状態とせられており、従って美学の真の基礎をなしているのだ」と述べている。「いかもの」を嫌い、ミニマルな美に豊かさを見出したタウトらしい言葉である。奇しくも高崎の地は、実業家・井上房一郎らを介してブルーノ・タウトやアントニン・レーモンドが足跡を残し、日本のモダニズムの揺籃を支える固有の場所となった。

松本文夫(東京大学総合研究博物館特任教授)

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